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第46集 ベテルギウスをさがして




親友

 

親友だと思い合っていた人が

これまでの人生で二人いる

友人なら数多くいるが

親友だと互いに確信を持って言い合えた人は

その二人だけだった​


一人は小学校六年生の時

五月ぐらいに豊橋から転校してきた女の子

その頃から私は小説や詩を書き始めていて

それを知った彼女は

私の創作ノートをひどく崇めてくれた

私が書くものは何でも気に入ってくれた

私が今も文章を書くことを楽しめているのは

彼女のおかげかもしれない


私が小学校卒業後に引っ越して

別の中学に行くことになったので

彼女とはもう会えなくなったがしばらく文通はしていた

手紙の中でも

いつまでも親友だよと言い合っていた

手紙はいつしか間遠になり

それ以降連絡も途絶え

今では彼女の消息もわからない


もう一人は大学2年の時に

たまたま声をかけてくれたクラスメートの男子

週1回授業の隙間時間に会って

いろいろな話をした

私はその頃体を壊していて

大学を1か月休んだあと

おそるおそる授業に復帰したばかりで心細かったので

声をかけてくれた人の優しさに

スムーズに乗ることができたのだ


男女とはいえ長らく友情で

馬鹿話もできて大笑いしあえる親友だった

授業の合間に東京中の公園探索をした

お店で食事をしても全部割り勘で

むしろ私が彼と対等でありたかったので

そうしてもらっていた

互いの異性をふとした瞬間に感じることはあっても

互いにむきになって親友だ親友だと言い合っていた


しかし1年ばかりすぎて

もうこの気持ちは親友ではないと

まず彼が言い始めて

私も引きずられるように

そうかもしれないと思うようになった

そうなったら互いの将来まで絡んできてしまう

卒業後の去就まで想い馳せなくてはならなくなる

随分悩んだのだ

しかし気持ちがそうなってしまったのなら

もうどうしようもない

私たちは親友から恋人へと昇格したのだった


恋人として認め合うことで

別の次元の交際に入っていった

そうすると互いに対する責任も生じて

楽しい部分だけでは生きられなくなる

へらへらもしていられなくなって

卒業間近にはこの先どうしたらいいのか随分悩んだ


私は体調に不安な面があったから

卒業後も実家に戻らず東京で生活していくとは

なかなか言えなかった

この先も一人暮らしが続くことが怖かった

しかしその怖さよりも彼への思いが勝った

私は最大限の勇気を奮い

東京に踏みとどまったのだ


そして数年後

私と彼は夫婦になった

付き合って七年ぐらいたっていただろうか


今でも親友の部分は残っている

昔使った二人の流行り言葉を思い出して

ぎゃはは、そんなこともあったな、と笑い合える

親友であるポイントは何でも話せるという点だ

それを思うと夫とは

夫婦であり恋人であり

今でもまだ親友なのかもしれない



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別れる日


夫とは

地球に隕石でも落ちてきて

抱き合いながら

ありがとうと言い合って

一緒に死んでいきたいが

そうもいかないだろうから

互いに先に死んでしまった時のことも

ちょっとは考えておかなくてはならない

とは言うものの

今は全然考えられなくて

考えたくもないので

あえて思考停止になってしまっている

そのうちいずれ慌てふためき

困ったどうしようと思いながら

悲嘆に落ち込みつつ

別れていくことになるのだろう

その前にえぐい介護が発生して

愛もへったくれもなくなるということも

ありうるが


若い頃から

幸せにしてやるとは

全然言えない人だった

それも彼の精一杯の誠実だったと理解している

結婚するのかしないのか

もうどうでもよくなってしまうほどに

長い春だった

言葉上の「幸せ」の文字はもらえなかったが

これまでの人生

十分幸せにしてもらったよ

若い頃一人で山に行きすぎることは随分心配したし

子どものことでも苦労、というか悩みは多かった

まあいろいろあったけれど

全体を通して見ればかなり幸せだったと言える

ただ幸せにしてもらうんじゃなくて

幸せにもしてあげられたと自負している

それだけは今ここに

きちんと書いておきたくなったのだ

別れゆく日に

ありがとうの一言も

しゃべれなくなっていることも

ありうることだから



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今日のいいこと



中学校脇の細道を自転車で走っていた

細い道いっぱいに

下校していく男子生徒十人ぐらいが歩いていて

追い越せずに後ろをのろのろとついていったら

そのうち一人が気付いて

「みんな左に寄って、自転車」

と声をあげてくれた

私は「ありがとうございまーす」と言いながら

生徒たちの脇を軽やかに走りすぎた

その時一人の男子が

「きれいな人」

とつぶやいた

確かにそう言った

私は、む? と思った

その道にいた女性は私一人だけだった

とすると

「きれいな人」というのは私のことか?

そうだよな きっとそうだ

そうだよ そうだよ

と思って急にいい気分になった

もう60歳過ぎてるんですけど

通りすがりの一瞬で

私をきれいな人と見たのなら

その少年はお目が高い

またはひどい近視だ

うん うん でもよかった

パッと見「きれいな人」と言われるように

これからは本当にちょっと外見に気を使おう


というようなことが

今日のハイライトだったので

忘れないように

ここに書いておく



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図鑑を捨てる



図鑑を見ながら

一緒に覚えてしまった

問われれば

答えられるし

問えば

答えてくれる


あの頃だけだった

見知らぬ生き物たちが

にぎやかに住み着いていた

時と場所があったのは


開かれなくなった

古い図鑑は

もう捨てようと思う


頭突き恐竜などという

頭のハゲた愉快なやつを

いつかまた思い出して

笑うだろうか


「ヨツボシゴミムシダマシ」

そんな昆虫の名前を

呪文のように

唱えることもあるだろうか


布団の中

肩を寄せ合って

眠るまでながめた図鑑は

もうすっかり色あせてしまった


もう問うこともなく

問われることもない

もう答えられないし

答えてくれるとも思われない


図鑑の中の知識など

ネットで調べれば

たちまち数限りなく躍り出て来る

でも本当に必要だったのは

図鑑の中の

1ページか2ページ

何度でも見て

飽かず笑い合えるキーワード


思い出にも

そろそろケリをつける頃合いだ

もう30年も開いていない

古い図鑑を

捨てようと思う

とっくに忘れ去られているのに

捨てる時ばかりは

こんなにも名残惜しく

 


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年を越す



夏が来るまで

生きていたい

そう思いながら

冬を過ごしていたこともあった


冬至が来れば

楽になる

そんな気持ちで

日を数えていた12月もあった


流れゆく

人が生まれたり

死んだりも

随分と見てきて

体の内にはりついていた

棘のような時間の感覚が

いつのまにか丸くなっている


今では

普段の日常と変わらずに

年の瀬を超えていける

他の皆と同じになれた

明日が暖かいか寒いかだけを

気にしていれば済むような

そんなサクサクした麩菓子のような人間に


呼吸も塞がれるような

真冬の青空

苦しかったことの根源は

ただ若さのゆえだったと

答えを与えようか

 

 (2023年12月16日)

 

 

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お酒が飲めない



ちょっと強いリキュールをなめただけで

なんとなく眠くなってしまった

思考力を使う仕事は

これ以上もうできない


昔 恋人との二人きりの民宿で

心配しないで飲んでみろよと言われて

調子に乗ってビールを飲んでいたら

本当に目が回ってしまったことがあった

畳の上に倒れ込んで

酔ってるよ 酔ってるよと焦っていた


あれからお酒は

どんなつきあいでもほとんど飲んでいない

昏倒するほど飲んでみたら

私の本性が分かるのかもしれない


陽気になるのか

愚痴を言い出すのか

色っぽくなるのか

厄介な本性がありそうで

夫の前でさえ

未だにお酒の冒険ができないでいる


この先も

酔いつぶれることは無いだろう

朝起きたらベッドの隣に

見知らぬ男!などという状況も無いが

隠された本音のあれこれを

後先なしに暴露してしまうことも無い


平安が保たれるのなら

それに越したことはない

ただ残念なことに

私の本性は

永遠に謎のままだ



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本を捨てる



消え去るための手順は

すみやかに

とどまるためのよすがは

最少に


思い出を見定める時が来た


まずは

壁に広がる本棚の前に立つ


(2023年12月25日)


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お正月に



今日は令和6年1月3日

1日には大地震

2日には飛行機事故とあって

3日の今日は

さすがに何も無いでしょうね


令和5年は

家族でコロナにかかったり

実家の母が亡くなったりが

悪いニュース

逆に

姑の介護の影響から完全に脱却して

夫とちゃんと向き合えるようになったことが

いいニュース

今年もこの先何かはあるのだろうけれど

できれば平明な心を保っていたい


夫と近所のお不動さんや

韋駄天神社にお参りに行った

社に向かって手を合わせ

お辞儀はしたが

つい何も祈らなかった

祈るべきものなど何もない

世の中に凶事はあふれているが

私に対処できることは少ない

お守りもおみくじも信じない

私はただ今日や明日を

いつも通り

正しく生きていくだけである


(2024年1月3日)



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再生



ひどく異常な数年間があり

世界中が防備し

離散し合い

皆が孤独になっていた


あれはもう

過ぎたこと

なのだろうか


モルモットとして

抜け出せない行列にも並んだ

安全が担保されているとは

必ずしも信じてはいなかったが

できてしまった流れに

抗う術などどこにも無かった


救われたい

善知識が説く正義に

ただ埋没していくだけの

無知な信者のように


あれはもう

過ぎたこと

なのだろうか


透明な膜ははぎとられ

体を深く触れ合わせてもいい

素顔をさらして

唇をむさぼりあってもいい


晴れやかな季節

人々は盛大な宴を準備しはじめる

世界は正常に巻き戻され

途切れた音楽は

途切れた場所から再生されていく

しかし果たしてそうか


健やかにと

神に手を合わせたその帰りにも

また次のフェーズへと

無防備な足を

踏み入れてはいまいか

(2024年1月)



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買うということ



晩年の母は

もう買いたいものなど何もないと言っていた

子どもにばかりお金をかけて

自分のものは何も買わなかった

何のぜいたくもしなくて全然つまらなかったと


それを聞いていて

ちょっと待ってと思った

お金がかかったのは

私や兄が学生だった頃のこと

もう何十年も前のはず


ここ数年で高性能な4kテレビや温水洗濯機を買っていたことを

私は知っているぞ

お風呂もミストサウナつきに改装していたし

ロボット掃除機を買ったと自慢していたし

それに国内の旅行のみならず

ハワイ旅行や韓国旅行にも行っていた

毎日元気に犬の散歩をして

好きなところにもこまめにでかけ

舅姑の介護も一切経験せず

夫婦で長生き さほど苦労は無かったはず

私からしたら十分ぜいたく

割と安泰に暮らせていたではないか


自分のために買いたいものがあれば

どんどん買ってもよかったのだ

ただ身に沁みついた倹約の習慣で

服や靴など自分の身の回りの物を

何も買おうと思わなかっただけなのでは

あるいはもう心の空虚を埋めるのは

お金で買えるものではなくなっていたということなのだろう


母が今更何も買いたいものが無くて

人生全然つまらなかったというのを聞いて

そんな後悔をするくらいなら私は

桁外れの高額な買い物ではないなら

好きなものを好きに買おうと思った

買いたいものがあるということは

それに向かっての興味や生きがいがあるということだ


そう思って

太極拳のウェアを何着か買った

気恥ずかしくて今まで着ようとは思わなかったが

もう着てしまおうと思った

一応先生なのだから

着ていいのだ むしろ着なくてはいけないのだと思って

買ったのだ

私にしては大胆な買い物だったが後悔はない

好きなことにちゃんとお金を使ったという自負がある

これで晩年になって

何も買わなくて全然つまらなかったなどとは

私は自分に言わせない

(2024年2月18日)


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解決



携帯や財布や

なにやら大事なものが入った大きな鞄を

いつのまにか盗まれてしまった

どこで失くしたのかも分からない

一緒にいた夫ともはぐれてしまった


という夢を見た

なかなかにリアルで

絶望感が滲む夢


じめじめした夕暮れの

コンクリート製の建物の中を歩き回り

こういう鞄は見なかったかと

会う人ごとに聞き回る

廊下の感じが昔通った学校にも似ていたので

妙に気分が沈んでくる

人もまばらな教室をのぞき

恐怖感をあおる急角度の階段を

命がけで降りて

上履き入れあたりの薄暗さにも

楽しくもなかった中高生時代が思い出されて

あーやだやだとため息が出る


そのあと

いきなり遊園地のアトラクション展開になり

大ブランコに振り回された挙句に

たどりついた明るい場所で

何気に鞄をみつけ

近くのゴミ箱の中から携帯や財布もみつけた

これで夫とも連絡が取れる よかったよかった


そこまで夢を見終わって

やっとはっきり目が覚めた

最後の方は夢というより

都合よく脳内で話を作っていたのかもしれないが

まあうまい具合に解決できてよかった

終わり方はまずまずだったが

忘れたいような過去が乱暴に掘り起こされる感じが

イヤな感じに後を引く

なんだかひどく疲れる夢

やはり学校が舞台なのがよくなかった


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裸の顔



マスクをつけずに出かけることも増え

マスクを携帯していなくても

慌てて家に取りにもどらなくなった


これからは

口紅などもいくらかはつけたほうがいいだろうし

肌の色も

見苦しくない程度には整えなくてはなるまいと思う


正々堂々と明らかになった顔

顔がしおしおしている感じがするのは

加齢のせいでしょうか

花粉症の何らかの影響でしょうか


美容整形したくても

お金も無いし

自然の流れでしおしおしていくのも

ある程度仕方が無いとも思えるので

とりあえずこのままで

目鼻口が揃っていて機能しているのなら幸福至極

それで十分ということで



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(詩人)として



これだけ詩(らしきもの)を

書いてきてしまったのだから

一応私は

(詩人)なのではないかと

心密かに思ってはいるが


先日 知り合いの詩人のかたから

今度ズームで詩の対談をするから

参加されませんか?との

お誘いメールが来た


私は「えっ?」と思い

即座に「無理無理無理」と思った

日頃詩人らしい思索など何もしていないし

気の利いたそれらしいことを

一言だって言える自信はない

よしんば参加しても

終始お客様状態で

にこにこして聞いているだけが関の山

そもそもしゃべりがうまかったら

詩なんて書いてはいないのだ

対談にしても

私のことを(詩人)と思ってくれていて

招待してくれているのなら

そのお気持ちは有難いし感謝するが…


書きためた物を

本にしませんかと言われたこともある

実は二度詩集を出版している

一度目は

十代の頃書いた作品をまとめて

百冊限定で自費出版したもの

二度目は

所属していたNPOが

本づくりを主体とした活動をしていたので

その流れに紛れ込むようにして三百冊ほど

どちらの本も

今は私の手許に数冊残っているだけで

世間的には消滅している


詩は

世に残したいと思って

書いていないこともない

しかしいずれ私の詩など

すべて消え去る運命だろう

本の形であったにしても

HPに書き込んだものであっても


『華氏451度』というSF小説がある

情報統制のため本の所持が禁じられている世界

本はみつけられ次第燃やされてしまう

活字として文字を残せなくなった世界では

消滅させたくない本の内容を

何人もの有志が一言一句正確に記憶し

口伝という方法で語り継いでいくしかないのだ


脳の中の記憶槽

いずれ私の詩も

私の脳内だけのものになり

それも完全に消えていく

結局はどんなに心を込めた作品であっても

そんな終わり方なんだよなと思いながらも

まだまだ諦めようとは思わない


だから今日も性懲りもなく

詩(らしきもの)を書いている

書けるうちは書こう

というか

​書かずにはいられない

(詩人)であるかどうかは別にして

(2024年3月11日)



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ベテルギウス



オリオン座のベテルギウスが

減光を続け

超新星爆発かなどと

囁かれてもいるが

その影響が地球に及ぶのは

何万光年も先の話なのだろう


今見えている星の光だって

何万光年か過去の光

空一面 全部過去

光の到達の

なんという果てしない時差

宇宙の訳の分からなさに

あらためて茫然としてしまう


オリオンは好きな星座なのに

左肩の星が消えてしまったら

オリオンの形をなさなくなってしまう

冬の大三角も描けなくなってしまう

星図も書き換えなくてはいけないねとも思ったが


ベテルギウスが消滅した情報が

地球に伝わる頃には

地球もまた

完全消滅してしまっているのだろう



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女性詩人



私と同世代で

詩人として本も出版されていて

高く評価されている女性詩人がいる

文芸コンクールの表彰の会場で知り合った

その人には

てんかんなどの症状を含む重い障害をもつ息子さんがいて

一度表彰会場に息子さんを連れていらした

誰にも預けることができなくてやむなくといった感じで


息子さんは椅子に座っていられなくて

あちこち立ち歩き声を発し

彼女も息子さんに付き添って一緒に立ち歩き

ホワイトボードで始まった落書きにつきあっていた

会場に集まっている人たちの

視線を気にしながら


彼女は深く暗く幾分不気味な詩を書く

首や手や足を切り取るといった

痛々しい身体表現が斬新で鮮烈だ

詩の中でいつも流れている血は

きっと彼女の心臓から溢れ出ているのだ


毎日のようにネットにあげられてる彼女のつぶやきには

息子さんとの生活が多く綴られている

シャボン玉が好きな息子さん

なかなか眠ってくれない息子さん

なぐりがきのようなクレヨンの絵


そして彼女はその合間にも

悲鳴のように血みどろな詩を

書きつける

彼女はずっと声を上げ続けている

詩はきっと彼女を救う手立てなのだ


ほんのささいなつぶやきの中に感じる

並ならぬ生きる勇気

彼女と比べて

私は何と生ぬるい世界に安住しているのか

幸福の中にうまく転がり込んだら

もうそこから抜け出したくなくて


私とて

心臓から血が滲んでいないこともないのだが


詩の形で表現された

彼女の切り立った心

それは一つの生きる見本だ

私はここからずっと彼女を見守りながら

自らも自分の詩の在り方について

問い続けなくてはならない


詩は

私の切実な生きる手立てであるか


 

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猫覚え書き



元々うちの前の床屋さんが面倒をみていたノラのイッケ

茶色一色だったからイッケ

イッケのひげは長くて立派だ

すぐに地べたに横になる

「プッ」と言いながら横になる

ノラのくせに警戒がない


イッケのお母さんもノラ

小さくて

焦げ茶の縞模様だった

後ろ脚の先の方がちょんぎれていて

びっこをひいていた

たぶん2~3歳で

3匹の子を産み育てると

いつのまにかいなくなってしまった

イッケの兄弟の他のオスたちも

いつのまにかいなくなってしまった


イッケのお腹が大きくなっていき

イッケは4匹の赤ちゃんを産んだ

2匹はメスの三毛

2匹はオスのチャトラ

雨がちの5月

うちの2階のベランダの

こわれたダンボール箱の中で


イッケは元々床屋さんの猫で

小学生の娘さんたちが外でエサをあげていた

うちで赤ちゃんが4匹生まれたことを言いに行ったら

床屋さんの奥さんは少し困った顔をして

あとの面倒はお宅にお願いしますと

夫婦そろって菓子折りを持って挨拶に来た

それでやむなく家で引き取った


3匹はよその家にもらわれていった

1匹だけうちで引き取った

茶白のオス

私がうっかりドアで足を骨折させてしまったから

責任を感じて

チビと名付けた


イッケには避妊手術をさせた

チビのお母さんとして

やさしい日々を過ごしていたが

チビが5か月ぐらいになったとき

交通事故で死んでしまった

幹線道路わきの歩道に血を流して横たわっていた

みつけたときはもう

つめたく固くなっていた

泣きながらうちの庭に埋めてあげた


チビのしっぽは

うさぎのしっぽみたいに短い

ひげがちょっぴりしかはえていない

おなかの白毛がかわいい

急におかあさんがいなくなってしまい

庭の方を寂しそうに見ていた


姑がその少し後に

近所の人からもらってきた黒猫のチャッピーは

やせている

黒に見えるけれど

中の方の毛は灰色だ

だっこがきらい

雀をつかまえるのが得意

カニカマが好き


チビとチャッピー

仲良く一緒に眠り

からみあいじゃれ合って

元気な子猫時代を過ごし


けれどある日突然チャッピーがいなくなり

1年後にはチビもいなくなって

もうそれきりだった

チビは免疫の病気があるらしいと

獣医さんに言われていた


何か月も探したが

2匹ともとうとう姿を現さなかった

2匹ともまだ5歳か6歳ぐらいだった


そしてその後

ノラのダミさんがふらりと現れて

ノラのままにしておこうとしたのに

冬に不憫になって

また飼い猫にしてしまった


17年間を自由に楽しく生きて

ケンカもたくさんして

病気にもなって治療もして


とうとう助ける手立てがなくなった後

私の目の前で

ちゃんと死んでくれた

はじめてちゃんと

目の前で



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神なんていないと思っている

大災害があっても

何万人も死ぬようなことがあっても

神は何もしてくれなかったし

何も押しとどめることができなかった

背負えないような重荷は負わせない?

負わせるよね

どうにも生きられないような気持ちを

取り除いてはくれないよね


生きている者は

時が過ぎて

痛みから血がにじまなくなるのを

待つしかないのだ


海に向かって祈る人々を

テレビで見ていて

なんだか涙が出そうだった

逃げられない人のそばにとどまり

一緒に海に流された人もいたという


運命に救われたと感じることは

何度かあったが

そこに神の存在があったかどうか

たぶん運やタイミングの問題で

災厄を擦り抜けていただけ

神様のおかげなんていう言葉は

私の口から金輪際出て来そうもない

私はどうやら無神論者だから


エホバの証人の人とか

創価学会の人とか

立正佼成会の人とかの知り合いもいて

それぞれにとてもいい人たちで

説明をされれば笑顔でお話を聞き

普通にパンフレットも受け取るけれど

基本的に宗教がらみは深追いしたくないし

別にどうでもいいし


人間こそが

あるとき神になるのだ

そしてその神は

往々にして

死に近いところだけに現れる



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コンサート



学生時代 下宿の隣部屋の友人が

用事で行けなくなったからと言って

コンサートのチケットを譲ってくれた

杉田二郎のコンサートだった

「戦争を知らない子供たち」しか

知らないなあと思いながらも

行ってみることにした

授業を一つさぼらなければならなかったが


ペア券だったので

同級生の友人を誘ってみた

友人というよりは異性の親友

親友だよなと言いあっていたが

心の中では実は恋人だった


杉田二郎は

豊かな声量と

落ち着いた深みのある声質で

思いがけなく私たちを魅了した

とりわけ「八ヶ岳」という歌が

心に沁みた

彼もコンサートが終わってから

いいコンサートだったよな

特に「八ヶ岳」はとてもいい歌だと言ってくれた


少し考え込んだ

私に母親になる未来が果たしてあるのか

八ヶ岳のすそ野で笑い合う

家族としての姿を望む気持ちはあるのか


私は大学を卒業したら

東京を離れ故郷に帰ると

きっぱりと決めていた

健康に不安があったし心も弱かったから

家が嫌いで東京に来たが

東京にもいたくないこのジレンマ


どうしても帰らなければいけないのかと

彼はたびたび聞いて来た

卒業の日までの親友

そうお互いに言い合ってきたが

もうそろそろ親友ごっこも限界

「八ヶ岳」の歌は

私たちにそれを気付かせてしまった


別れたら一生後悔する

彼に迷惑をかけるようなことがあったとしても

別れられない どうしても でも

こんな私でいいのかと彼に何度も問い

彼に頼らないで東京で生きていく手立てを探り

自力でなんとか足場をみつけようともがき


そうして私は

故郷には帰らない人生を選んだのだ



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第一詩集


第一詩集「無限逍遥」を見直している

十代から大学時代に書いたいわゆる若書きで

もうどうしようもなく書き足りなかったり

難解語句に固執しすぎていたりして

かなり目も当てられない 

アチャーと声が出てしまうほどだ

これを本にして自費出版して

友人たちに配ってしまったなんて

今思い返しても恥ずかしくて仕方が無い


久し振りに取り出した詩集は

もう古くなってしまっていて

閉じ目のノリも劣化して

本を開くとバキバキと根元からはがれて

ばらばらになってしまう

本としても終わっている


上野公園近くの弱小出版社で

百部三十万円で作成したもの

発行日は昭和五十八年五月一日

アルバイトをして貯めたわずかな貯金を

全部つぎ込んでしまった

表紙は絞り模様の入った銀鼠色

題字は明朝体の真面目な黒文字

長く生きる気がしなかったから

これが最後の遺書みたいな気持ちで作った


書いたものを全部載せたくて

百ページの中に小さな字で

八十作品も詰め込んでしまった

せめて三十作品ぐらいの精鋭にしておけば

まだなんとか見られたものを


昔書いたものは

その時の正直な私の言葉だから

未熟でも直すまいと思ってきたが

さすがにこの第一詩集は

そのままではあまりに浅い

今になってもうちょっと書き足したくなった


そういうわけで

ちょっとだけ直した

第一詩集「無限逍遥」補筆訂正版とでも言っておこうか

だめな作品は思い切り捨てた

作品の肝や大筋は生かした

あの頃なんでこんなに生きることがつらかったのか

その思いに寄り添いながら

生き延びている今の地盤で補筆した


これからもちょこちょこ直すかもしれない

詩に完成などないのだ

自分の作品であるから

何をしてもどう手を入れても自由である

青春の恥ずかし遺物(黒歴史)の火消しに

今は余念がない



「無限逍遥」(1)

「無限逍遥」(2)



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夫が退職した

 

 

夫が3月に退職した

4月からどうするのかと思っていたら

さっさと近場のスポーツ施設に通い出し

今は水泳にはまっている

定年クライシスを難なく突破して

楽しんでいる様子にほっとする

 

家で何もせずにゴロゴロして

私の趣味やお出かけを阻害してくることがあったら

イヤだな ストレスだなと

少しばかり思っていたが

杞憂だった

それぞれが別々の時間を楽しんで過ごす

それがベストだ

 

時々は一緒に散歩に行ったり

外食もするようになった

昨今の店は注文や支払いが

セルフや自動やアプリ形式や二次元コードになっていて

「なにこれ えっ? どうやるの」などと

二人で焦りながら対処していく

それもまたいい勉強だ

 

二人だからこそ

行ってみたい場所

踏み込んでいける場所もある

それぞれが別々の楽しみを持ちつつも

二人であるうちに

二人でいられる時間を大切に過ごしたい



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老婆

 

 

最近「罪と罰」を読み返してみた

ラスコーリニコフが殺したのは

金貸しの老婆である

ずっと80歳ぐらいだろうと思っていたが

60歳だった

60歳で老婆

 

そういえば夏目漱石の短編でも

「50あまりの婆さん」という表現がよく出てくる

60どころか50でも婆さん

 

100歳近く生きる人が

まわりに多く見られるようになってきた

そんな展望にうかうかと騙されまい

60歳でも昔の人にとってはかなり晩年

もう人生の終わりをみていた

 

今と昔

まだ先がある もう先がない

両者の思いを腑に落としつつ

心して生きなくてはならない

「罪と罰」の世界にいたなら

私は世に害を成す老害とみられて

撲殺される存在なのだ



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絶滅していく

 

 

原始 地球が作り出した水や空気や適度な気温などが

生命の発生にマッチしていたから

人間が生み出されてきただけなのであって

 

地球がその環境を変えてきたのなら

その環境に適合できない生き物は

絶滅する

ただそれだけのことなのだ

 

恐竜をはじめとして

今までに50億種から500億種もの生き物が

絶滅したという

 

気候の変動が激しい

あらゆる天災に命がついていかない

そうならば

人間も絶滅危惧種に付け加わった

ただそれだけのことなのだ

 

この思考もDNAも

いつかまっさらになってしまう悲しみ

次に発生する新種の生き物は

もっともっと強く

もっともっと美しくあれ


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電車の中にて

 

 

華やかな若い女性の一団が

サンダルの音をガタガタさせながら

電車に乗り込んでくる

ひらひらしたカラフルな服と

日に焼けた長い手足

ひとしきり仲間言葉で話し続けたあとに

2、3駅先で

騒ぎながら固まりで降りていく

 

そばで見ていた夫も私も

思わず苦笑してしまう

同じ年頃の我が家の地味な娘

友だちもいなくて

黒い服ばかり好んで着ている

 

「うちの子ももっとおしゃれすればいいのに」

「でもおしゃれで化粧ばっちりな子は

なかなか家に帰ってこないとか

別の心配がきっとあるんだぜ

それより高台のスーパーまで

安売りの麺つゆを自転車で汗だくになって

5本も買ってきてくれるなんて

うちの子じゃないとできないよ」

「それもそうだね

真面目ないい子なんだよね」

 

そんなことを話しながら

納得し合って

二人してちょっと笑った

いろいろと心配はあるけれど

この流れを安らかに見守ろう

親の権利と義務は

どこまでだろう

馬を水場に連れていっても

飲ませることはできないと

ことわざにもあるではないか

思えば私も夫もそんな馬で

お互い飲みたい水だけを飲んできた

今日のお出かけは

もう子ども抜きの夫婦水入らず

若い人たちが幅をきかす大都会

急ぐ人ごみに煽られながら

東京めぐりの夏の途中で



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泣いている赤ちゃん

 

近くの道のどこかで

赤ちゃんが泣いている

 

何事かと思わせる

声を限りの大声で

 

すぐに父親らしき人の

声が聞こえてくる

 

「うんうん 立派な泣き声だね

 うんうん どうしたかな?」

 

おだやかなやさしい声で

 

その声の調子でわかる

あたたかな家庭を成している人

 

少なくとも

心傷つく言葉などとは

無縁な人

 

幸運な赤ちゃん

まだ分からないだろうけれど

この父親は

君の心を確かに救ってくれる人

私は心ひそかに

赤ちゃんに祝福を与える

 

そして赤ちゃんは

すぐに泣きやんでいったのだ

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姑の面会(2024年6月)

 

 

姑の面会に行ってきた

リクライニングの車椅子で運ばれてきた姑は

またひとまわり痩せて小さくなっていた

施設のスタッフの人に

「朝 お約束しましたよね」

などと声をかけられている

きっとこのような面会も体の負担になるだけで

楽しみにはなっていないのだろう

 

姑は何を話しかけても答えてはくれず

いきなりがくっと首を垂れ

少し顔を上げたかと思うと

すぐにがくっと首を垂れ

寝落ちを繰り返しているかのようだった

 

顔を上げた時には夫のほうを見る

夫をよく見ようとしている

そこに母親としての本能的な愛を

読み取れないこともない

 

看護師さんによると

BMIは15になり体重は36キロぐらい

命に危険があるゾーンに入ってきているとのこと

 

私の父の最期の数ヶ月を思い出す

誤嚥性の肺炎になってしまうからと

口からの食事は禁じられ早々と点滴だけに切り替えられて

会うたびにただ厳しく痩せていく姿を見せつけられた

本当にブドウ糖だけの点滴

点滴に何か栄養成分を入れられないのかと詰め寄る兄に

女医は「お父様の苦しみを長引かせたいのですか」と

冷たく言い放った

 

口から食べることのできる姑は

まだ生の残り火を燃やすことができる

点滴だけになっていないことは十分な救いだ

 

もう何も声を発しなくなった

表情もない

ただ夫の方に頻繁に視線を走らせる

別れ際 いつも精一杯手を振ってくれていたのが

今日は振り向きもせず運ばれていった

 

あと2週間で93歳の誕生日だ

食卓にケーキのようなものを出してもらえるだろうか

食べるという行為 食べさせるという行為を

諦めないでほしい

まだ大丈夫だと思わせてほしい

生き物はすべて

自力で食べているうちは大丈夫なのだから



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20代の頃

 

 

東京に住んでいた頃

すなわち私が女子大生だった時や

陶芸助手をやっていた時

一人暮らしの孤独に倦み疲れて

夜ごと近所を散歩してまわったり

銭湯や喫茶店で時間をつぶしたりしていたわけだが

それが正しい生活だったとは決して言えない

いつも苦しい気分をかかえ

見えない将来を思い悩んでいたから

 

もしかして私が

青山や六本木界隈をぶいぶい言わせながら

派手な格好で闊歩する女であったなら

20代をもっとギラギラと過ごせたのか

どこかの酒場で見知らぬ人と

こじゃれた会話を交わしたりカラオケに行ったり

夜中まで遊び倒したりして

結構やせていた昔の私なら

ボディコン姿でディスコに出没しても

なんとかイケていたかもしれない

​東京

その猥雑な景色を

私は味わいそこなってしまっている

チャラい別の運命に生きていたなら

何も苦しまないで

東京で20代を遊び過ごしていたのだろう

 

しかし私は確信する

もし過去に戻れたとして

やはり孤独の中を歩いていた

ひとり悩む暗い夜は

​すたれたおそば屋の片隅で

ひっそりといつまでもうずくまっていた

無駄に苦しみ過ぎるという点で

それは正しくはない生き方だったのだろうが

今は納得はできているのだ

派手やかな20代ではなかった

​ちやほやもされなかった

たとえ誰の目にとまらなくても

ただ一人の人の

誠実な瞳の中にいることはできたのだから


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笑い合う

 

 

俺がいなくなったら

きっと静かになるぞ

そう夫は言う

 

それはそうだろう

夫は私相手だと

下品で下世話な話がとめどなくあふれてくるようで

私をゲラゲラ笑かしては

悦に入り満足しているのだ

俺の語録を書き留めて

本を出せとまで言う

 

学生の頃からそうだった

私も夫も

ふだんは真面目で静かな人間なのに

二人きりになると

途端に馬鹿話を始め

きわどいことを言い合って

あたりはばからず爆笑していた

 

通学の道々もそんな風だったので

後ろから追いついてきた友人たちに

下ネタ話で大笑いしているのを聞かれてしまい

驚かれたり 呆れられたり

とまどい顔で見返されたり

取り繕った真面目そうな外見とはうらはらに

心は全くふざけ切った

実におかしなカップルだった

 

時が経ち

子育てや親の病気や介護の悩みで

久しく笑い合うことがなくなった

趣味も別々だから

一緒に何かを楽しむことも少なかった

それも 少しくたびれてきた夫婦の

普通の成り行きだと思っていた

 

ところが最近

夫はまた絶好調になってきたようである

夫の軽口や下品な話は時にうるさい

しかしそのうるささが尊いものだと

私は知っている

心を許し合っているから

何を言っても楽しい

心を傷つけるような言葉など

夫の口から漏れたことなど一度も無いのだ

 

夫がいなくなったら

この家はきっと静かになってしまう

そして私がいなくなっても

夫は馬鹿話をする相手を失い

やはり無口になってしまうのだろう

 

両親と共に過ごしたのは

思えばわずか二十年

夫とは四十年以上一緒にいる

その時間の重さのはかりしれなさ

笑い合えるこの時間を

ただ笑い転げながらも

限りなく大切なものと思う




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