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第42集 在と不在の比重


整える



爪とぎや毛づくろいをしなくなったら

どこか痛いかつらいかですよと

獣医師さんが言っていた


片足を上げておしりのあたりを

しきりに舐めている

足の先っぽも念入りに舐めている

顔を片手でこすっている

木の幹をバリバリと引っかいている

そしてもりもり食べている


大丈夫だね?

まだもう少しここにいてくれるね?


身づくろいを

誰かに評価されているのは

私も同じ

マスクをするようになって

人と会うにも化粧をしなくなった

つくろう気持ちを失くしたことは

やはり気づかわしいことなのだろうか

口紅なんて

もう1年近くしていない

服だって地味な普段着を日々回転させているだけ


私を見て

どこか痛いかつらいかですよと

誰かが言っていそう



(2021年1月3日)



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もうすぐ2回目の緊急事態宣言


2回目の緊急事態宣言が出されようとしている

緊急事態なんて言葉は

少年漫画とかテレビアニメとか

ゴジラやエイリアンが出てくるようなSF映画でしか

聞いたことがなかったのに

あろうことかこの現実世界でもう2回目


1回目の緊急事態宣言では

不穏がはびこっていながらも

平日の昼間から

子どもたちがあちこち遊び回っていたり

家の中できゃあきゃあ騒いでいたり

リモートワークになった男の人が

奥さんと子どもとで散歩していたり買い物していたりして

万年日曜日であるかのように

不謹慎にも不思議になごやかなものを

感じてしまったのだが

2回目の緊急事態宣言では

何かが次々と息の根を止められていく音が

はっきりと聞こえてきそうだ

世界中が濁り淀み締め付けられている

まだ松の内だが

年末から異常に増えた患者数を思えば

あけましておめでとうございますなんて

とても言えない気分


また山の上の

すいているスーパーに行くことにしようか

だがあそこは鮮魚の品ぞろえが悪い

なによりもすべての人や物

空気さえも疑ってかからなければいけないことが

面倒臭いしキナくさいし疲れてしまう

床に落ちたものだって平気で拾って

3秒ルールで食べてしまっていた私だったが

さすがに以前の私ではなくなった

拾ったものはすみやかにゴミ箱に

触った手はすぐ洗浄消毒へと

いつのまにかできあがった感染症対策ライン工程

禍の多寡は何によっても測れないが

いつか読み返すかもしれないと思って

とっておいた東日本大震災の新聞記事の束も

最近全部捨ててしまった

もういいやと

さっさと過去のものにしてしまった

天秤のかけ方がわからなくなった

そういう投げやりな意識の持ちようが

既に緊急事態仕様であるに違いない


(2021年1月5日)



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ある事件



検査のため姑を病院に連れていった

コロナ感染症も扱う大きい病院であるため

正面入り口では職員3~4名が待ち受けていて

来診者一人に職員一人が張り付き

検温・体調についての書類にチェックを入れている

無症状の人もいるのだから

こんな検閲無駄だよねと夫と言い合うが

まあこんなことぐらいしかできないのであろうから

仕方がない


30分ぐらいで

姑の血液検査もCT検査も無事済んだ

楽勝のミッションでよかった

早く終わりましたね あとは帰るだけですよと

姑に声をかけ

車椅子から自家用車に姑を移乗させようとした時

事件は起こった


車椅子から立ったのであとは夫に任せて

私は車椅子を返却しに戻ろうとしたところ

夫が「待って 車椅子!」と言う

振り返ると

姑が腰砕けを起こし中腰になってしまっている

車椅子を急いで戻したが

もう遅い

腰はかなり落ちてしまっていてもう車椅子に座れない

こうなったら絶対に立ち上がれない

夫が引っ張り上げようとしても

どうしても持ち上がらない

それではと

車の座席に引きずり上げようとするが

えびのように身体が歪み

下半身が入っていかない

どこにも力の入らないぐでぐでの体の

なんという重さよ

こんなに引っ張ったら

どこか骨折でもしてしまっているかもしれない

姑は目をつぶってしまい

なすがままで死んでいるかのようだ


病院の女性職員さんも一人駆けつけてきてくれて

3人がかりで車椅子に戻そうとする

おむつに便も出ていて

外でそういう事になると

姑は必ずえずいてしまうのだが

もうそんなことはどうでもいい

ズボンごと引っ張り上げる


姑の切なくも切羽詰まった気持ちはとりあえず置いといて

とにかく車椅子に戻れれば

なんとかなるかもしれない

ああすればこうすればと言い合い

すったもんだしながらあちこち引っ張って

掛け声をかけあい

せーのせーので

どうにか車椅子におしりを乗せることができた

3人で大きなため息をつき

職員さんは大丈夫そうですねと言って戻っていった


ちょっと一休みして

仕切り直して姑を車に乗せる

ひとつひとつ慎重に手順を踏んで

今度はなんとかうまく乗せることができた

どこか痛いですかと声をかけるが

案外すんとした顔をしていて

何ごともなかったかのような風で

おとなしく座席に座っている

骨折などはしていなさそうだとほっとする

夫は腰を少し痛めた

私は腕が明日あたり筋肉痛になりそうだ

しかし姑はどうやらどこも傷めずに無事

まずは「よかった」と思う


家に帰ってから

おむつの中のとんでもない惨状に目を剥き

30分かけてしつこいぐらい洗浄し

きれいにリセットするまでが

今回の事件のおまけのハードミッションであった



(2021年1月9日)



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初スカイプ



宇都宮にいる兄から

スカイプやりませんかとメールが来た

そうかスカイプをやる環境が整ったのだなと思い

私も急いでスカイプをインストールしてアカウントを取得する

にしても

速やかにさっさとことが運ぶパソコン熟練者ではないので

アカウント取得まであれこれ調べなくてはならず

整うまで2日かかってしまった


兄と示し合わせた日時に私はパソコンの前に待機して

このボタンを押すのか

自分の顔が映ったぞなどと操作のシミュレーションをしていたのだが

兄からは一向に応答がない

電話をしてみたら

すっかり忘れていたのだった


数分待って

スカイプのビデオ通話が可能になって兄の顔が映ったのだが

兄の方のパソコンに私の声が入ってこないという

画面の前に母もいるが

どうやらテレビの「ためしてガッテン」の方に

眼は釘付けのようである

兄は声が出ない声が出ないと言っていて

その声はこちらに聞こえている

母が「黙ってな、「ためしてガッテン」見てるんだから」と

言っている声も聞こえる

兄と元気そうだとか声をかけあうも私の声は向こうに聞こえていない

母はさほどスカイプに感動している風もなく

テレビの方に興味はいってしまっている

テレビを見たいなら今スカイプをやる必要はないなと思い

私は「スカイプつながったことがわかったから今日はもういいね」と

向こうに聞こえていないかもしれないけれど

画面に向けて口の動きを見せて

じゃあ切るよと言った

母もやっと画面に笑顔を向けて

「ためしてガッテン見なよ 心筋梗塞のことをやっているから」と言い

私も笑いながら「見る見る」と言ってスカイプを切ったのだった


母と兄の顔を見たのは

1年と1か月振りだった

今回は「ためしてガッテン」に負けてしまったけれど

茶の間のこたつにいつも通りに陣取り

テレビを楽しむ元気な母の様子を見れてうれしかった


今時はスマホでのLINE通話でテレビ電話みたくできるよと

あとで兄にメールし私のQRコードなどを送ってみたが

返信がなかったので

LINEはあまりやりたくないか出来ないかなのだろうと思った

まあ スカイプでもいいけど  ちょっと面倒だけれど



(2021年1月11日)



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寒い1月



どこかでは大雪が降っていて

車が何日も立ち往生とか


私が住む地域は

幸い暖かく

雪はほとんど降らない

先日十分ぐらいみぞれが降った

雪っぽいものはそれだけ


でも今年は寒いと思う

とても寒い

外のバケツの中の水が

朝には分厚く凍っている

干した洗濯ものが

さっそくぱりぱりになっている


毎日ホッカイロを

胸や背中に張っている

本当にあたり一面が寒いのか

私ひとりのさむけなのかわからず

少し怯えたりもしている

もっともっと

体を温めなくちゃと思う


たまにある頭痛

たまにある鼻水

たまにある喉のイガイガ

たまにあるせきやくしゃみ


小さな体の不調にも

まわりの人に警戒してもらうべきか

黙っていてやりすごしても大丈夫なものなのか

迷いが生じる


命の認識が揺らいでいる

そんなところだ

今年がいつもとちがう点は


(2021年1月16日)



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目視

2度めの緊急事態宣言が出て1週間がたつが

どうも緊張感が足りない

去年の緊急事態宣言前後には

マスク商品はもとより

ペーパー類や米も出回らなくなった

半ば半狂乱の買い占めが起こっていて

商品の棚があちこちスカスカになっていた

それで異常事態を目視できていた


今回は日常に異常を察知するよすがが何もない

あちこちにかかるビニールの垂れ幕や

アクリル板はもう常態になっているし

おつりを手渡しされないことも

当たり前になった

人との間隔をあけて並ぶことも

自然に身についた

行動変容とかソーシャルディスタンスとか

人の意識を変えるキーワードも

新味を失くし

つまりこれまで1年間やってきた注意事項を

これからも守っていくしかないということだ

アラートは既にステージ4に入っている

体の病気だったら死を意識するレベル

昨日 足の裏に謎のほくろのようなものをみつけた

これはメラノーマかもしれないと思い

ちょっと緊張感が走った

そう そんな気持ちで生きなければいけない

​日々はステージ4だ

ちなみに謎のほくろは

軽石でこすったらきれいに消えた

(2021年1月15日)



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謎の声 



以前 姑は

「ペッペッ、プップッ」というような声を

常に意味なく発していたが

最近は

「はぁぁぁー、うぁぁぁ~」という

腹の底からのうなり声を発している

(居合のような呪術のような)

その合間に「ちしゃ~ ちし~」という合いの手がはいる

一日中ずっとである

夜 電気が消えている部屋からも

その声が聴こえてくる

もし病院や施設のベッドにいたなら

まわりの人から

「うるさい 黙れ!」と怒られるレベル

たぶん意識せずに出てしまっている声だ

8年前の譫妄時の独り言と同じ現象なのかもしれない

なんだか呪いの声みたいで

同じ部屋にずっと一緒にはいられない


常時否応なしに聞こえてくる声とか音とかは

人の神経をおかしくする

騒音トラブル殺人のニュースを見たりすると

それに至るまで

じわじわと神経攻撃されていて

もう耐えられないところまできていたのだろうと思う


意味ない声もそうだけれど

意味ないピンポンチャイムもそう

去年は私もそれであぶなかった

10分おきに鳴らされてごらんよ

十分に神経を破壊する拷問だから



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謎の指



姑はたびたび左手のてのひらを

しげしげと眺めている

そして指を4本順に折っていく

入浴スタッフの人たちも

あれは何を数えているのでしょうねと

不思議がっていた

おむつを替えている間じゅう

うぁぁぁ~と唸りながら

指を順に折って何かを数えているしぐさ

私は何も気づかないふりをしているが

多少は気になっている

亡くなった親や兄弟、友人たちを

数えているのだろうか

けれど折っている指は

4本だけである

4日 4週間 4か月 4年

そういえば

生きる気力尽きて

力なく寝付いてから4年たった



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閉じていく


休店と閉店と閉館の貼り紙を

今年になって

いくつ見ただろう


開ききった展開図が

たたまれて たたまれて

閉じていって 閉じていって

最後には何も残らない

そんなマジックを見ているようだ


古びた事務用品店の

(決して文房具店ではない)

ガラスの引き戸に

アグネス・ラムの水着写真のポスターが貼ってあった

アグネス・ラムって!


彼女が人気だったあの頃

私だって自分のブームに夢中だった

小さなユニットパーツを

辺り一面散らかして

大人になるまでには

巨大な構築物が組み上がるはずだった


晴れ渡った南国の海で

屈託なく微笑むポスターの中の彼女

私の移動空間内で

空気が開放されている場所は

このポスターのまわりだけのような気がする

人々は

四方八方に展開した図形の折り目を

一つ一つたたんでいきながら

今だけは

この季節を

あらん限りのスピードで

通り過ぎるしかないのだ

​​

散歩しながら

探すともなく探す

息をつける次のポイント地点は

案外

路地裏の居酒屋の外壁あたりにある

見つけたなら小さな折り目をつける

そこからまた

折り鶴が飛び立っていけるようにと

(2021年1月24日)



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節分わすれ



今年はどういうわけか知らないが

2月2日が節分だった

神社での節分会がどこも中止なので

テレビニュースで報じられることがなく

うっかり節分ということも忘れてしまった

娘が夜9時半ごろ

今日中に豆をまかなければ

福が来ない

というので

慌てて小声で「鬼は外 福は内」を唱えながら

数粒の豆を各部屋各窓に投げた

今年の節分はこんな感じ

豆を数粒投げたぐらいじゃ

鬼は全然去らないのだろうけれど


次は梅まつり

ひな祭り

桜祭り

となるはずだが

どっこい

そうならないのが今年の運び


今年も

色味が欠ける春となる

鬼だけが

これみよがしに跋扈して

氏神様は

祠の奥に閉じこもり


ひっそりと

サルコペニアとフレイルになっていく


(2021年2月6日)



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集中力



少しまとまった時間があれば

表記の統一が問題になっている校正の見直しをしたいし

詩も一つぐらい書きたいが

すぐおむつ替えや食事の準備の時間が来てしまい

パソコンの前を離れなくてはいけなくなる


時間は不思議だ

無ければ渇望するし

ありすぎれば持て余す

そもそも時間がないと感じるのは

庭で太極拳を1時間以上やっているし

散歩も1時間以上しているし

ズンバダンスエクササイズも1時間以上やっているから

なんだ はた目から見たら結構ヒマじゃないか

ところがこれらのパフォーマンスをこなさなければ

介護ストレスが解消しないとなれば

これらの時間も必要なのだ

じっとなんかしていられない


パソコンの前に座るのは1時間半ぐらい

次のおむつ替えの時間まであとちょっと

椅子から立ち上がらなくてはいけなくなるまで

そそくさと

こんな駄文を書いているのである



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小鳥の餌やり


ご近所の誰かが

小鳥に餌をやっている

たぶんカラスも

そのおこぼれにあずかっている


なぜ分かるかというと

うちの庭の

ハナミズキや柿の木の下に

小鳥の白いフンが点々と散っているから

そのそばに

ヒマワリの種のカラが

ボロボロと落ちているから

半分に切ったみかんが

中身が食われた状態で

あちこち転がっているから

メジロも来る

ヒヨドリも来る

セキレイも来る

ときどきヒバリの声も

木の上から聞こえてくる

幹をコンコンコンコンつつくやつも来る


鳥たちは

エサをくれる人の家では食わず

人んちの庭の立ち木まで飛んできて

枝の上で悠々と食って

気持ちよくフンをする


おやつ食い散らかして悪さして

素知らぬ顔で帰っていく

近所の愛すべき悪ガキたちを思い出したよ


今日はスズメが3羽

足元から1メートルのぐらいのところまで迫ってきて

エサはどこかな?という風に

能天気なステップを踏んでいる


これこれ君たち

ゆめゆめ油断召されるな

開けた窓のすぐそばで

老いてもなほ狩りをせむとす

野武士のようなお猫さまが

うずうずお尻を動かしているが故

​(2021年2月11日)



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大地震の予感



昨夜11時過ぎ

比較的大きな地震があり

また東北辺りが震度6強にやられた

うちは震度4ぐらいで済んだけれど

いつもより長く揺れていたから

これはまたあれか やばいやつか

と思いながら立ち上がって

見ていたテレビの映画のチャンネルをNHKに替えた

映画の最後が残念ながら尻切れトンボだ

ニュースを見ながら

とりあえず

火の元ヨーシ と指さし確認をしていた


10年前のあの大津波

あの風景だけは

もう二度と見たくない

命がのまれていく地獄


テレビのニュースでは津波の心配はないと言っている

海の深くだったから大丈夫らしい

そうか と思って

とりあえず宇都宮の兄のスマホに

大丈夫だった?とメールを送ったが

返事がすぐにはなかったので

じゃあもうそろそろ寝ようと思った


まだまだ大きな何かが

この先に控えているのかもしれない

あまり高齢になってから

その「何か」に対処するのはつらい

だからできるだけ動ける体を維持するべく

毎日何かしらのトレーニングをしているんだよ


体は努力でいくらかは制御できるかもしれない

けれど問題は心だ 

大きな喪失 大きな変化に出会った時

動じないで乗り越えるために

心はどう鍛えればいいのか

瞑想 座禅 マインドフルネス 深呼吸

今まで様々なピンチに試してきたけれど

あんまり効いたためしがないのだが 

まあその時になったらなったで

なんとか生き抜いてみせるさ

などと思いながら布団に入った



(2021年2月14日)



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日々の状態



姑は今は病院の検査上全然病気ではないが

状態は日々変化している

食欲が全然なくなって急にやせたり

逆に食べ過ぎて体重がどんどん増えていったり

腰痛でなかなかベッドから起き上がれなくなったり

理由なくピンポンチャイムを鳴らしまくっていたり

お茶を飲み過ぎて尿量が尋常じゃなくなったり

あやしい咳が続いたり

急に吐いたり

おむつを腰パン状態にして

おしっこうんちを下にもらしてしまったり

それぞれの現象は1~2か月の間現れ

徐々に次の現象に移っていく

命に関わるものではない限り

永久に続く訳じゃなしと思いながら

軽く流して対処してきた


今の現象は「1日中うんちがちびちびずっと出続ける」である

下痢でもないのにおむつを開く度にうんちが出ていると

「ええー? また?」とつい声にも出てしまう

うんちなら少し我慢することもできるはずなのに

1日に5回もうんちの処理をする羽目になると

むむっと腹をたてそうになる


夫にも報告してしまう

「これ、どういうことなのよ」と

訪問看護師にも言ってしまう

「うんちが頻繁に出過ぎて

肛門が真っ赤なんですけど」と


決して本人のいやがらせではなく

食べ物やゆるんだ腸や肛門のせい

または便をやわらかくする薬のせいなのだろう

ということは分かっているのだけれど

こうもうんちが多いと私の気持ちが荒れて来る

お尻を拭く手が乱暴になってしまうのである



(2021年2月16日)



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135回のうんち



姑のおむつを開く度に

毎度うんちがちびちび出ているわけで

日記によれば

今年に入ってこの1か月半で

135回もうんちが出ていて

135回もうんちの始末をしてあげて

135回もおしりを洗ってあげたわけだが


だれもほめてくれないし

ありがとうも言ってくれない


私がやらなければ姑は

135回分のうんちに埋もれて

息もできないわけで

想像するとかなしくも笑えてくる


そういえば

おしっこの量も異常に多いのである

常時用意してある枕元の3つのコップのお茶を

いつも飲んでいるから

おむつが毎回ずっしり重くて

吸い取り切れずパジャマを濡らすほどだ

おむつのゴミですぐに45リットル袋がいっぱいになる

飲む量を減らしてみようと

試しにお茶を補給しないでいたら

テーブルをコップでかんかん打ち鳴らしてうるさいし


下の世話ひとつとっても

これはもう立派な偉業だ

私の労力はかなり半端ないほうだ

もっともっとつらい介護をしている人も多いのだろうが

そんな相対の問題ではなく

私はかなりすごいことをやっている

誰ひとりほめてくれなくても

全私が全力で私をほめてやる



(2021年2月18日)



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そりゃやりたかぁないよ



姑のおむつ替えを私がしているのを見て

すごいねぇと夫が感心する

感心するということは

俺には出来ないと

言っていることと同じなんだよね

そして やらないよね

姑もやらせないよね

私しかやる人いないよね

私もやりたくないんだけどね



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事象



このところずっとどういうわけか

朝 姑のパジャマとおむつが

膝のあたりまで下げられている

下に敷いてあるバスタオルやシーツが

おしっこでびしょびしょになっている

わたしが これはどうしました!と

思わず大きな声になってしまっても

姑はスンとすまして

何ごともなかったかのように

静かに天井を見ている

布団をはいでいきなり

もろだしの下半身を見せられると

なんとも無残な気持ちになる


濡れたシーツは

姑が寝ているうちは取り替えられないので

新しいバスタオルを敷き込んでお昼まで我慢してもらう

濡れたパジャマ上下を新しいものに着替えさせる

新しいおむつをつける

毛布まで濡れているので応急に毛布カバーだけ替える


姑はその間もずっと無表情で何もしゃべらない

ごめんねも言ってくれない

ありがとうも言ってくれない

それが案外じわじわこたえるのだ


おむつを膝まで下げてしまう事象は

一日おきくらいに一か月続いた

朝 布団をめくる時 気構えないといけなかった

剥き出しの下半身が目に入ると

一瞬ウッとなり

あなたの尊厳は一体どこに行ったと

どやしつけたくなる



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誕生日



2月21日は私の誕生日だった

菅田将暉君や要潤さんと一緒だ

今の天皇陛下とも2日違い

陛下は私の一つ下だ


ちらし寿司を娘が作ってくれた

誕生日には何か自分で本を買うのが倣いだ

いつぞやは「カササギ殺人事件」を買った

今年は「火星の人」を買った

新本だと値段がバカ高いので

古本に出ているものを買う


人生があと10年あるのか20年あるのかわからないが

もうだいぶ後半戦であることは確かだ

気分は全然老いている感じはしないのに

体の内部組成は若いままであるはずがない

サーチュインとかテロメアといったレベルで考えても


しきりと過去の失敗が思い出されて

急にへこむこともある

長く生きれば生きるほど

失敗も増える けれど

寝たきりの姑の生命維持に

大きく貢献できていることを思えば

過去の失敗なんて全部帳消しだよ

むしろおつりがくるよ

そう思うことにして

今年の誕生日も

へへへっと笑っていようと思う


夜 庭に出ると

どこからか

沈丁花の香りが強く漂ってきた

いつも2月の誕生日には

懐かしく胸に迫るこの香りに出会う


(2021年2月23日)



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今年の桜は散るのも早い


緊急事態宣言が解除された

解除されたからと言って

元に戻ってはいけないのに

丁度桜も満開になった先週の日曜日

シートを広げた花見客が

大勢集って宴会を繰り広げている場所もあった


花をめでる以外にも

お礼を言ったりお別れを言ったり

とりあえず顔を合わせて挨拶をしないと

けじめがつかない

春とはそんな季節


ケアマネが自分の担当ステーションの

スタッフや利用者の中で

感染者が出たらどうしようと

会うたびに少し怯えたように言う

そんなに不安がられると

必要があって外出するにしても

私はうしろめたく思ってしまう


そしてまた確かに

姑の命をずっと支えてきたことを

自負すればするほど

逆に私のせいで

姑を死なせることになったら

どんなに心が責められることだろうと

私も怖くなるのだ


もしそうなっても

早く忘れていけるように

もっとちゃらんぽらんにならなくてはいけない

もっと適当に

もっと他人事のように

もっとあっけらかんと

私のせいじゃありませんよ

決して私の失敗じゃないですよと

からりと思っていられるように


今年の桜は1週間もたずに

なぜか散り始めている

生き急ぐ葉桜を

遠くいたましい思いで眺めやる

コロナに関わる症候群として

この心の動きも

注視していなくてはならない

(2021年4月3日)


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寝たきりになったら



姑の腰痛がひどくなり

ベッドから起き上がれなくなった

余程痛いのだろう

ここ1~2週間のことだ

うながしてもテーブルに移動できないとなれば

ベッドの上で食べてもらうしかない

ベッドの背もたれを立てて

お盆をお腹の上に置けば

ベッド上の食事は可能

むしろ歩行の見守りがない分

楽といえば楽


しかしこのまま諦めてはだめだとも思う

パジャマの着替えは?

シーツ替えは?

入浴は? 洗髪は?

腰上げ出来なくなったときのおむつ替えは?

床ずれ対策は?

未知の領域が続々と見えてくる


未知は私を少し不安にする


大腸の手術後

全然しゃべらなくなったこと

一日中寝てばかりいること

トイレに全然行かなくなったこと

外への散歩も完全にやめてしまったこと


いつもと違う要素が入ってくると

私は少し落ち着かなくなる


慣れなくてはいけない

もう九十歳になる

完全に寝たきりになっても

おかしくはない歳なのだ

起きると腰が痛くてしかたがないのなら

もっと頑張れなんて

言ってはいけないのだ

痛いのだから

とても痛いのだろうから

それに添って介護していくしかないのだ


(2021年4月10日)



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姑 脳梗塞になる



2021年4月13日

早朝 姑の寝ている体勢が

いつもと違うことに気づいた

左足がカエル足のように横に倒れていて

膝を立てることができない

おむつもうまく替えられない

腰痛のせいだろうと思いつつも

何か変だったので

念のため緊急連絡ナースコールで

朝7時半に訪問看護師に連絡した

「昨日腰痛もあったし、もしかしたら緊急じゃないかもしれませんが

いつもと足の感じがちがうのでちょっとみていただけませんか」という言い方で


訪問看護師は緊急でもないだろうと判断して9時ごろ来た

実は昨日の通常の訪問看護で事件があった

既に姑はその前から腰痛がひどくなっていて

ベッドから起き上がれなくなっていた

それではということで

看護師が寝たままでの着替えを

私に教授しようとして

非常に無理な手技をしたのだ

姑は激痛でけもののようにうめいていた


あまりのラフプレイに私は黙っていられず

看護師の帰り際に

とうとう30分も口論することになってしまった

そんなこともあって

足がうまく立てられないのは

昨日のことに起因した痛みのせいだろうと

互いに思ってしまっていた


訪問看護師は一時間かけて

健康チェックを行っていたが

まだ腰痛以外の異変が起きているとは気づかなかった

鎮痛剤の量と回数やおむつの替え方を教わったりなどして

とりあえず痛みの対策をした

血圧もいつもよりやや高いかなぐらいの程度で

異常とも言い難い

姑に腰の痛みがひどいですかと聞くと

うんうんうなづく

姑のうんうんは信用がならない

痛み以外の症状があるのなら言ってくれないと困るのに


看護師は「じゃあ様子見してください」と言って帰り

お昼のおむつ替えでは

少し腰を浮かせることができたので

これならいつも通りに

おむつ替えができるかもしれないと思い

少しほっとした

朝 姑は食欲がなくあまり食べられなかったのだが

お昼はお腹がすいたといい

ベッド上でおにぎりを食べたりなどした


3時のおむつ替えで

左足がやはり膝を立てられない

私が手で立たそうと持ち上げても

力が入らずパタンと横に倒れてしまう

何度か膝を立たせてみようとしたが

パタンと倒れる

痛みを感じている顔ではない

ということはこれはマヒがあるなと初めて思った

ためしに両腕を胸の方まで持ち上げて

維持してもらおうとするが

左腕がすうっと下がっていく

本人は相変わらずどこもおかしいところはないと

言っているのだが

これは脳梗塞だなと確信した

急いで救急車を呼ばねばと思った

しかし救急車を呼ぶときは

必ず担当看護師と往診医を通さないといけない


再び訪問看護師に電話した

看護師は「脳梗塞を疑っているということ?」と

少し懐疑的な口調で

「脳梗塞なら握る力、押す力も落ちているはず

血圧も測ってみて」と言う


私は看護師の電話に従って姑の様子を更に観察した

左手の握る力は右の半分くらいである

マヒしているかどうかは微妙な感じ

頭が痛い? 気持ち悪い? どこかいつもと違うところある?

としつこく聞いても首を横に振る

しかし血圧はいつもより30~40上がっている

そのことを訪問看護師に連絡した


この時4時 

看護師は往診の担当医師に連絡するかどうかの

判断の瀬戸際にきていた

なおも迷っている様子で「救急車」の言葉が出てこない

仕方なく

「5時には入浴スタッフの看護師も来るので

その人にも診てもらいましょうか」と私が言うと

看護師は「そうしてください」と言った


入浴スタッフの看護師に様子を見てもらった

やはり血圧がいつもよりずっと高い

手の力はさほど落ちてはいないが

足は動かないようだと

訪問看護師に直接電話してくれて

それを受けて訪問看護師は往診医に

やっと相談を入れてくれた

少しして往診医から「救急車ですぐに病院へ」

との連絡がきたので

6時には準備して救急車を手配した

救急車がなぜか発進にもたついて

病院に着いたのは7時頃だった


(2021年4月20日)



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脳梗塞発症前日の詳報



脳梗塞発症の前日

その日は既定の訪問看護師来訪の日


姑は数日前から腰痛がひどくなって

ベッドから起き上がろうとしなくなったことで

今後はすべてベッド上でおこなわなくてはいけなるということを見越して

ベッドに寝たままでのパジャマの替え方とかを

訪問看護師に教わることにした


看護師は寝たままの姑のパジャマを脱がせるために

あっちを向かせたりこっちを向かせたり

姑はそのたびに獣のような呻き声をあげている

しかも寝たままではどうもうまくいかなかったので

姑を強引に引っ張り上げるようにして体を起こさせた

姑は「うおおお」というような呻き声を発し

それがいままで聞いたこともないような大きな呻き声だったので

私が「痛がってますよ、痛そうな顔をしていますよ」とたびたび声をかけたのだが

看護師は「でもやってしまわなくてはダメでしょ」と言って

苦痛に歪む姑の顔を見ることもなく

パジャマの着替えを私に教授しようとする


次に「おむつ替えやってみてください」と私に言うので

私が「まずは看護師さん、見本を見せてください」と言ったら

「そうですか」と言って固い表情のままやりはじめた

これもまたひどく乱暴で

ビニール手袋をはめた手に石鹸の泡をのせ

姑の陰部をわしゃわしゃとかきまわすように洗っている

私はこの看護師さんがおむつ替えと陰部洗浄をしているのを

はじめて見たわけだが

これにも大きなショックを受けてしまった

いままでこんなに乱暴に洗っていたのか

姑はいやいやをしながら顔を歪めている


訪問看護師は帰り際

「このまま寝たきりになってもいいのか

少しでも立って歩いて車椅子で食事ができるようにしたいのか

ご家族のお考え次第

車椅子でということでしたらやり方をお教えしますので」と

いかにも事務的に言う


姑は腰が痛くてベッドの背もたれさえ上げられず

ベッドから体を起こすこともできない状態である

これで車椅子に移動なんかできるわけがないじゃないか

それで「車椅子はどうも無理そうです。

もしかかえあげて乗る途中で腰砕けをおこしてしまったら、

もう私一人ではもちあがらないし」と言うと

「ご家族様のご意向とご協力があればやり方をお教えします

適切な介助をすれば車椅子にも乗れるし

またテーブルで食べられるようになります

このまま寝たきりでいいのか、また立って歩けるようにしたいのか

ご家族様のお考え次第

完全に寝たきりでいいとお考えなら、このままでいいですけれど」などと

またまた煽るようなことを言うので

私もむっとしてしまい

「車椅子でとかテーブルでとか家族がいくら思っても

姑は激痛に苦しんでいるし

車椅子に乗ることを望んではいないと思う」と言い返してしまった

それでも看護師は

「それは介助の仕方でなんとでもなるのです」と言い張る

私と看護師はそんなこんなで30分ほど言い合いをし

互いに釈然としないまま別れ

そして次の日

姑は脳梗塞を発症したのだった


前日のごたごたがなくてもいずれ発症の時はきたであろう

脂肪肝があったし血液検査の値もそんなに万全ではなかった

私の食事の与え方が悪かったかもしれない

脳梗塞を訪問看護師のせいとは思わないが

前日 いつもより乱暴に体を動かされたことで

その苦痛が何らかの影響を及ぼしていなかったとも言いきれない


彼女の誤算は

私が安定した心で自ら進んで介護していると思っていただろうことだ

それはとんでもないことだ

私は一日中ひっきりなしのうんちの始末に辟易し

ピンポンを頻繁に鳴らされることに疲弊し

意思疎通が全然できないことにもやもやし

食卓までの十歩でさえ姑が歩いてくれなくなっていることに

焦りや苛立ちを感じて

すこぶる心の余裕をなくしていたのだ

 

そんな状態になっているところへ

「寝たきりでもいいならいいですけど」などとそっけなく言われて

もうキレてしまったのだ

それに私がいくら促しても

姑が協力姿勢をとってくれるはずもないことは見え見えで

そんなに車椅子車椅子いうなら

あなたが見本を見せなよ やれるものならやってみなよ

と思ってしまったのだ


彼女はクールビューティーで知的な

いかにも「できる」感じの若い看護師だった

早口で凛としすぎているところがちょっと苦手だったが

薬の指示は的確だったしデータ管理も完璧だった

あのことさえなければ自宅での看取りをも

安心して任せられる人だった

 

後日 訪問看護師にいままでのお礼を伝えてもらうよう

書類の用事で来たケアマネには言ったが

彼女の感情はこじれたままだったのか

私が諸々の連絡で訪問看護師のいるナースステーションに電話をかけても

彼女はもう電話に出てくれなかった



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姑の入院



病院で検査したところ

やはり脳梗塞を起こしていて軽~中等症の症状

2週間ぐらいの入院だと言われた

重症でなくてよかったと思った

軽いマヒは残るだろうが

そんなに深刻なものにはならない見込み

私はそう受け取った


そうなると次に考えなくてはならないのは

順調に回復していって今の病院を退院した後

姑を家に帰らせるか

次の病院・施設に入ってもらうかである


私は一旦自宅介護をする方向で

覚悟を決めかかったのだが

それには夫の全面的協力も不可欠

しかし夫はまだ仕事をしているから

そうは協力できないかもしれない


正直もう自宅介護はしたくない

これからまた何年続くか知れない介護で

自分の人生が消費されていくのはもう御免だ

我慢していた本音が抑えきれなくなって

ここに来て心は完全に介護放棄である

しかし

姑の気持ちを考えるとやはりもやもやは消えない

もう家に帰れないと知ったら姑は泣くかもしれない


私の実の親でもないのになんでこんなに悩む

悩むなら夫と夫の弟だよ

などと急に引いてみたり

姑の処遇が決まるまで

まだまだ落ち着かない日々である


(2021年4月26日)



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姑の行き先



姑は急性期の症状はおさまり病状が安定した

それも看護師から伝え聞いただけで

どんな様子なのか実態はわからない

コロナのせいで姑の顔も見れないままに

日にちだけがたっていく

医師の話だと血栓を溶かす薬のせいで

更なる出血が起こり

症状は入院時よりやや重くなってしまっているそうだ


そんな中でも次の行き場を決めなくてはならない

看護師やソーシャルワーカーと相談した結果

回復期リハビリ病院に転院するという案が浮上した

90歳でもうほとんど寝たきりで

このうえどんなリハビリができるというのか

転院後の生活がつらいことになってはいけないと心配しつつも

やはりプロの看護師さんたちにお任せしたほうが

介護・看護・医療の面でも安心だろうということになった


自宅介護の方向も随分探ったのだ

今までの2倍3倍の介護サービスを申請し

夜間もヘルパーさんに来てもらうとか

しかし姑の今の体の状況が全く分からないのに

自宅介護に戻るのは無理があるし不安だと

看護師にしつこく訴えたら

個室に姑のベッドを運び入れてくれて

近くで様子を見る場を設けてくれた


夫と2人で見に行った

腰痛がひどくて車椅子に移乗できないこと

おむつ替えは3時間ごとに

看護師2人がかりで行っていること

寝返りができないのでおむつ替えのたびに

身体を横向きに動かさなくてはならないこと

夜もたぶん寝返りの介助が必要なこと

ベッドで背もたれを立てるためには

体をベッドの上の端まで

引っ張り上げてやらなくてはならないこと

嚥下機能が落ちたのでミキサー食になり

おいしくないのか思うように食べてくれないこと

自分の手で食べれてはいるが

疲れると食べるのをやめてしまうので

介助も少し必要なこと

起き上がることも座ることも歩くこともできないということ

着替えも寝たままだと結構難しいということ

入浴は機械を使ってのものだということ

脳梗塞の程度はさほど重症ではなくても

もともとのフレイルがあるので

身体にもう全然力が入らないということ


私はすごく迷ったのだ

とてもとても迷った

しかし

私が決死の覚悟で自宅介護を引き受けても

私一人が頑張っても

もう無理なところまできているとも思った

私を強く補助してくれる人や

時には全面的に代わってくれる人がいない限り

無理だ

1時間2時間の介護ヘルパーを頼んだところで

介護の負担は結局はキーパーソンである私一人に

のしかかってしまうだろう

それに一時的のつもりであっても一旦自宅に帰ってしまったら

ソーシャルワーカーとのつながりが切れてしまい

次に入れる病院や施設の情報提供を受けられなくなる

そうしたらなし崩しに自宅介護が継続されてしまうだろう


人一人の命や運命に関わる決断だ

どんなに迷っても迷いすぎることはない

姑が自宅に戻った場合のデメリットとメリットを箇条書きにし

私の生活がどれくらい犠牲にされるかを数え上げ

姑の実際の様子を見たうえで

夫が もういい プロに任せようと言ってくれた


もう十分介護したよ 

一人で何もできなくなった10年前から

随分支えてきてあげたよ 

もうここで介護から解放させてよ

それに私の介護だっていい介護じゃなかったかもしれないよ

もっと他の人の手で介護してもらっていたら

もっと歩けていただろうし

もっとしゃべれていたかもしれないよ

ピンポンチャイムだってうるさいから外しちゃったし


私の中で自己肯定と反省はいつまでも渦巻く


何が正解なのかはわからない

けれど今まで姑のために尽くしてきた何年もの日々を振り返り

もうそろそろ私自身の身も守ってもいい頃だ

とも思うのだ



(2021年5月1日)


















































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