第51集 いつも今日の雲は初めて
- kaburagi2
- 8月15日
- 読了時間: 10分
更新日:18 時間前
重大なエラー
いくつかの詩の下書きをして保存したワードが
重大なエラーを発生させて
以来開けずにいる
何かいいことを書きためていたような気もするが
消えてもなんらかまわないようなものだったような気もする
思い出そうとしても
元のまま思い出せはしないだろうなと
気持ちが萎えていたところだ
成増で出会った過去の異常な煙霧のことを
昨今の激暑の大気と絡めて書こうとしていた
彩雲を見たことを書こうとしていた
太極拳の外での練習場についても書こうとしていた
そのほか雑多な言葉の切れ端など・・・・
太極拳HPに時々アップしている講師雑感は
からくもアップ済であったために助かった
こんなことがあるから
デジタルは嫌いだ
すべてノートの上で手書きで文字を書いていた時は
一気にデータが破損することなど無かったのに
気力を取り戻したら
また思い起こしながら書いてみるとするか
破損したものよりよいものになるかどうかは
わからないが
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空を見上げて
スーパーでの買い物を終え
ふと空を見た
青空にいくつかの大きな夏の雲
ダイナミックに湧く真っ白な夏の雲が好きだ
その下のほうの片隅に
思いがけなく彩雲があった
虹のように色彩豊かに染められている
一刷毛分くらいの小さなものだったが
なんとも言えず神々しい
ああ 彩雲だ
これが彩雲というものなのだなと
すべての思いを集中させて
みつめた
初めてであり
最後であるかもしれない
たぶんほぼ確実に最後なのだろう
そう思いながら
彩雲を瞳に焼き付けた
少しずつ白い雲が動いていき
彩雲のそばをかすめていく
私が立ち止まってじっと空を見上げているのに
そばを通り過ぎる人は
誰も上を見ようとはせず
誰もが彩雲を見逃していた
急いで家に帰り
家族にだけ教え 一緒に見て 写真を撮った
家族で共有した彩雲
見ることができた人には
幸運が訪れるという
喜ばしい通知を
いきなりもらったかのように
しばらく気持ちに光が射していた
他に誰か見つけることができた人がいただろうか
彩雲は10分ほどで消えていった
あれから外に出る度に
空を見上げる
もう彩雲はみつけられないが
長い間忘れ果てていた雲の美しさや
人知を超えた天体の不可思議さなどについて
はるか遠くにまで思いを届かせて
見上げるたびに心ふるわせている
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母の三回忌
8月10日に母の三回忌があった
10時からはじまるというので
私は朝早く川崎を出て
宇都宮に着いた後
急いでタクシーに乗って
お寺にかけつけた
お寺の奥さんや
兄夫婦の対応に
もういろいろつっこみどころがあって
長い長いエッセイを書けそうで
実際 思い出せる限りの詳細を
自分のHPにアップしてしまったのだが
これはお寺の奥さんや兄夫婦が読んだら
不愉快になるものだと思い
1日だけ公開してから全部削除した
幸い私以外誰も読んでいない
私の文章は人を傷つけるものであってはならない
しかし
20分の法事のあと
お墓参りもさせてもらえず
さあ 駅まで送るからあなたはもう帰って
という算段がなされていたことには
いまだもやもやが残る
兄が兄嫁になじられ愚痴られながら
私にお墓参りまでさせてくれたから
よかったようなものを
帰りの電車のために
兄の車で送られ
宇都宮駅に着いたのは11時半ぐらいだった
母が生きていたなら
お昼食べてから帰りなと言ってくれただろう
兄とももっとゆっくり話せただろう
兄嫁からはお食事代として一万円を渡されていたから
いいけどさ
ああ これ以上書くと
誰かのディスりになってしまいそう
もう口をつぐもう
書いてうっぷんを晴らし
皆さんどう思います?とSNSに上げるのは
どこかの正義厨に任せておいて
ただ次に法事が行われるとしたら
参加に迷うところだ
再来年あたりには父の十三回忌と母の七回忌
ほとんど他人の私が行ったら
息子夫婦や孫と
楽しくお買い物やお食事ができないよね
(2025年8月)
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ヘビについて
家の庭にシマヘビがいた
1メートルぐらいある灰色の長いやつだった
静かにうねりながら隣の敷地の畑の方に
はいっていった
ヘビを見るのは何十年ぶりだろうか
夫が畑へはよくいくので
ヘビいるかもしれないよ
と忠告した
夫は
ヘビに会えるかな?と余裕である
姑が元気だった頃も
2~3回家の周りでヘビを見た
そのうちの1回は玄関にまで入り込んでいた
姑は
「これは毒のないヘビだから大丈夫
ヘビは幸運の使いだから」と言って
箒でそうっと玄関の外に掃き出していた
30センチぐらいのやつだった
中学生の頃 通学路は小川のそばの小道で
夏場には何匹ものヘビが横断する
それを車が轢いたりするものだから
切断されたヘビを
始終目撃することになった
けっこう太いヘビ
直径2センチぐらいあって
イメージとして1メートル30センチぐらい
赤い切断面がひどくグロかった
何度も車に轢かれるから
もうぐちゃぐちゃ
小山の上の神社のふもと道なので
あたりに人家がなくて
掃除する義務がありそうな人もいない
ここを通らないと中学校に行けない
道路いっぱい死骸が広がっているときもあって
あれはいやだったな
夏の通学路はいつもぞっとしていたな
獰猛だったり毒があったり
人に害を成す生き物は
危機管理的に当然のように忌避するが
ヘビのような形状の生き物は
毒がなくても 温厚であっても
きれいなものであっても
どうにも親しむことができない
これが生理的にムリ
という感情なのだろうか
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父と戦争
原爆投下と終戦から80年がたった
父は大正15年生まれだったから
生きていたなら99歳だ
つまり80年前は19歳か20歳だった
兵隊にとられたという話は
わずかながら聞いている
兵隊服を着て写っているセピア色の写真も見たことがある
父は剣道の有段者だったので
兵隊の訓練での銃剣術が得意だったそうだ
幹部候補生にも合格し
今日明日いつ出撃命令が下るかという
すれすれの段階で終戦となって
命拾いをしたと言っていた
あの時代の苦しさを思えば
なんでも耐えられると
時折の昔語りの手紙で書いてきてくれたりもした
夏に行われる戦友会の集まりには
必ず出席していた
戦友とのつながりは特別なものらしかった
毎年100枚以上書いていた年賀状の
かなりの数は戦友たちに宛てたものだったかもしれない
家庭に 妻に 自分の子どもたちに 自分自身に
何度か不穏や不具合が訪れた時も
淡々として慌てることがなかったのは
心の中で
戦時中のつらかった日々と
引き比べていたからだろうか
親の若い日の苦難を
子どもはなんと知らないことだろう
そういえば我が子も
私についてほとんど知らない
戦争ほどのものではなかったが
命に関わる苦しい思惟の日々はあった
父が
最期まで口にしないで秘めていたこと
子どもには聞かせたくなかったこと
それを忌憚なく
すべて聞きとってあげたかったと
8月になると思うのだ
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懐かしい歌
学生時代よく聞いていた曲などを
時々 You tubeで探して聞いてみたりすることがある
ひとりぼっちの四畳半の下宿で
カセットテープでよく聞いていたのは
NSPというグループのフォークソングだった
抒情的でどこか寂し気な歌声
恋もしていたあの頃の
揺れて不安な心に
しみてくるような歌だった
甲斐バンドの「安奈」も好きで
一人もがきながら生きてきた青年が
再び恋人とのつながりを見出だし
不確かな希望に向かって汽車に乗っている
その風景にぐっときていた
杉田二郎の「八ヶ岳」も
聞く度に涙が滲んでくる歌だ
大学3年のころだったか
下宿の隣の部屋の人から杉田二郎コンサートのチケットを
2枚もらった
同じクラスの友人を誘ってみたけれど
その日忙しくて無理 ごめんね と断られ
自分一人でも行こうかなと思っていたのだが
ダメもとで
その頃からなんとなくつきあっていた今の夫を誘った
杉田二郎のコンサートは思いがけず素晴らしいものだった
奥行きと深みのある歌声
特に「八ヶ岳」が強く心に残った
隣に座っているこの人と
こんな風に共に暮らしたいと思い始めたのは
その時からだったかもしれない
カセットテープやCDとか次々と消えていく時代
You tubeで古い音源を今もなお聞くことができるのは
なんと素晴らしいことだろう
ずっと忘れていた懐かしい歌を掘り起こす
若かった頃の自分の心と再び巡り合う気分だ
いい青春だった
そう思えるのも歳をとったせいかもしれないが
過去をしっかりと肯定できるということは
かなり幸せなことだとも思うのだ
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納得
毎日何してるの?
暑くって出かけられないから
家でゴロゴロしてるんだけど
皆さんどうしてるの?
と聞いてくる人に
私もそう ゴロゴロしてる
テレビばかり見ている
と口々に返す人々
私も
そうそう 出かけられませんよね
とか言いながら
午後は涼しい神社の境内で太極拳をしたり
冷房の効いたジムで筋トレをしたりしている
真夏でも大雨でなければ
必ず何らかの運動をしている
学生だった時 定期試験の前などに
勉強してる?
と聞かれて
全然してないよ あせっちゃうよ
と答え
試験の点数どうだった?
聞かれて
全然ダメだったよ
と答える
アレと同じ
勉強はすればするだけ
密かに成果は出ているものだが
日々の活動は
何をどれだけやったから
健康が担保できるというものでもない
何もしていない人がずっと病気知らずだったり
いろいろと健康のために努力してい人が
思いがけない病を得たりすることもあるだろう
つまり
どんな生き方をしようと
神は何も関知しないし
何も報いないのである
ならば自分の納得がいく努力を続けて
自分が納得がいく生き方を続けるだけだ
日々をゴロゴロ寝て過ごしたりはしない
何もしていませんよと言いながら
何かしている
毎日何か一つでも太極拳の動きを覚え
毎日少しでも本を読む
毎日1曲でも新しい曲を聴く
今日をぼんやりと行かせはしない
少なくともそれが今の私の矜持である
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エアコンの買い替え
十数年使ってきたエアコンの効きが悪くなった
だましだまし使っていたが
部屋の温度が30度より下がらなくなったので
しぶしぶ買い替えを決めた
明日新しいエアコンが届く予定
夫とネットでいろいろ探したのだが
十数年前より電気系統の規制が強くなったらしく
いままで使っていた下のほうのコンセントが使えず
エアコンの直下に新しく開設しなくてはならない
ブレーカーの電気配線にもつなぐ必要もあり
家に張り巡らす配線の長さによって料金もかさんでいく
ただ単にエアコンを壁に取り付けましたでは済まないことが分かった
8月も終りだというのに日中の外は36~37度はある
逃げ込んだ部屋の中でも汗ダラダラはやはりまずい
冷たいものばかり飲んでしまう
氷の消費が激しい
高齢者は暑さに鈍感になるという
私の知り合いでも
日中クーラーは使わないという人が何人かいる
その境地に至ってしまえば
命の危険はあるが
この猛暑も苦にならなくなるのだろう
しかし私にはまだまだ苦だ
そういうわけで
明日取り付けられるエアコンを
切に待ちわびている
こんなにエアコンが必需品になるとは思わなかった
扇風機もろくに役に立たない
夏に大規模停電が起きて何日も復旧しなかったら、で
SF小説が書けそうだ
9月半ばまで
この暑さが続くという
まだ落ち葉になるはずのない庭木が
ぼろぼろと枯葉を落とし始めている
生き物すべてがこの暑さに戸惑っている
生体を環境に順応させるには
時間が圧倒的に足りない
適応できなくて滅んだ恐竜の道筋を
ちらっと思わないでもない

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