第51集 いつも今日の雲は初めて
- kaburagi2
- 2025年8月15日
- 読了時間: 22分
更新日:1月20日
重大なエラー
いくつかの詩の下書きをして保存したワードのフォルダが
重大なエラーを発生させて
以来開けずにいる
何かいいことを書きためていたような気もするが
消えてもなんらかまわないようなものだったような気もする
成増で出会った過去の異常な煙霧のことを
昨今の激暑の大気と絡めて書こうとしていた
彩雲を見たことを書こうとしていた
太極拳の新たな練習場についても書こうとしていた
そのほか雑多な言葉の切れ端など・・・・
こんなことがあるから
デジタルは信用がならない
すべて紙のノートの上に
ボールペンの手書きで文字を書いていた時は
一気にデータが破損することなど無かったのに
思い起こしながら書いてみたとしても
きっと破損したものとは別物になってしまうだろう
そもそも失ったものが
優れたものだったと思い返されるなら
それは歪んだ認知による
間違った美化でしかない
気を取り直してパソコンに向かう
今書けるだけのものを書いてみる
歪んだ認知であるにせよ
ひとたび失ったら
激しく悔しく思えるような
私だけの詩の言葉を求めて
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空を見上げて
スーパーでの買い物を終え
ふと空を見た
青空にいくつかの大きな夏の雲
その下のほうの片隅に
思いがけなく彩雲があった
雲全体が虹色に染められている
一刷毛分くらいの小さなものだったが
なんとも言えず神々しい
ああ 彩雲だ
これが彩雲というものなのだなと
すべての思いを集中させてみつめた
初めてであり
最後であるかもしれない
たぶんほぼ確実に最後なのだろう
見られたのは奇跡だと思った
少しずつ白い雲が動いていき
彩雲のそばをかすめていく
じきに消えて行きそうで
急い込みながら家に帰った
家族にだけ教え 一緒に見て 写真を撮った
家族で共有した彩雲
見ることができた人には
幸運が訪れるという
喜ばしい通知を
いきなりもらったかのように
しばらく気持ちに光が射していた
彩雲は10分ほどで消えていった
あれから外に出る度に
空を見上げる
今まで空を見なかったから
見逃していただけなのかもしれない
人知を超えた天体の不可思議さ
地球を覆う雲のすべて
どこかにきっと彩雲が現れていることを思う
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母の三回忌
8月10日に母の三回忌があった
10時から始まるというので
私は朝早く5時過ぎに川崎を出て
9時20分に宇都宮駅に着くと
急いでタクシーに乗って
お寺にかけつけた
法事開始10分前にお寺に着いたものの
住職の奥さんや
兄夫婦の対応や言動に
もういろいろつっこみどころがあって
長い長い物語が書けそうで
実際 思い出せる限りの詳細を
自分のHPにアップしてしまったのだが
これはお寺の奥さんや兄夫婦が読んだら
不愉快になるものだと思い
1日だけ公開してから全部削除した
幸い私以外誰も読んでいない
私の文章は人を傷つけるものであってはならない
そんなモットーはいつも心にあるが
しかし
20分の法事のあと
私にはすぐにさっさと帰ってもらう
という暗黙の流れがあり
事前に兄が足首を骨折していることを聞いていたから
車の運転ができないのだと思い
私は法事が終わったらタクシーで駅に向かい
お墓参りに行くのは
後日 兄たちでよろしくという把握で
納得していたのだが
実際には兄の足は
車の運転ができるぐらいには回復していたのだった
お墓参りに行けないことも無い
ということで
兄が「今日中に卒塔婆をお墓に立てなくちゃ」
と急に予定を変更した
それで
兄嫁が「今日はお墓に行かないって言ってたじゃない」と
怒り出した
その後のお墓参りにもあった小さなごたごたとか
もう書くネタ満載で
私は一言も忘れまじと頭をフル回転させていたのだった
兄嫁の不機嫌はおさまらず
兄の妹である私が側で聞いているのに
ずっと愚痴ったり責めたり
終始しょげている兄の車で送られ
宇都宮駅に着いたのは11時半ぐらいだった
母が生きていたなら
お昼食べてから帰りなと言ってくれただろう
兄とももっとゆっくり話せただろう
兄嫁からはお食事代として一万円を渡されていたから
いいけどさ
ああ
もう口をつぐもう
ただ次に法事が行われるとしたら
私はまたすぐ帰れと言われてしまうのかも
再来年あたりには父の十三回忌と母の七回忌
ほとんど他人の私が行ったら
息子夫婦や孫と
楽しくお買い物やお食事ができないよね
お墓参り無しで私にすぐに帰ってほしかったのは
そういうことだよね
この寒々しい気持ち
せめて
「遠くから来てくれてありがとう」
の一言があれば
笑顔で手を振って
遺恨なく帰れたのに
(2025年8月)
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ヘビについて
家の庭にシマヘビがいた
1メートルぐらいある灰色の長いやつだった
静かにうねりながら隣の敷地の畑の方に
はいっていった
ヘビを見るのは何十年ぶりだろうか
夫が畑へはよく行くので
「畑にヘビいるかもしれないよ」
と忠告した
夫は
「ヘビに会えるかな?」と余裕である
姑が元気だった頃も
2~3回家の周りでヘビを見た
そのうちの1回は玄関にまで入り込んでいた
姑は
「これは毒のないヘビだから大丈夫
ヘビは幸運の使いだから」と言って
箒でそうっと玄関の外に掃き出していた
30センチぐらいのやつだった
獰猛だったり毒があったり
人に害を成す生き物は
当然のように忌避するが
ヘビのような形状の生き物は
毒がなくても 温厚であっても
きれいなものであっても
どうにも親しむことができない
けれど何となく
どこかに禍々しさと表裏一体の神々しさも感じて
のろのろと滑るように移動していく姿を
しばし見送ってしまったりもするのだ
我知らずヘビとして生まれてしまった
ヘビの原初の感情になって
畑の湿った畝を静かに這っていく
肩で体を揺らしながら滑っていく
どこかにもどかしさは無いのか
何か一つ欲しかったすれば
手か
そんなことをぼんやり思いながら
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父と戦争
原爆投下と終戦から80年がたった
父は大正15年生まれだったから
生きていたなら99歳だ
つまり80年前は19歳か20歳だった
兵隊にとられたという話は
わずかながら聞いている
兵隊服を着て写っているセピア色の写真も見たことがある
父は剣道の有段者だったので
兵隊の訓練での銃剣術が得意だったそうだ
幹部候補生にも合格し
今日明日いつ出撃命令が下るかという
すれすれの段階で終戦となって
命拾いをしたと言っていた
あの時代の苦しさを思えば
なんでも耐えられると
時折の昔語りの手紙で書いてきてくれたりもした
夏に行われる戦友会の集まりには
必ず出席していた
戦友とのつながりは特別なものらしかった
毎年100枚以上書いていた年賀状の
かなりの数は戦友たちに宛てたものだった
家庭に 妻に 自分の子どもたちに 自分自身に
何度か不穏や不具合が訪れた時も
淡々として慌てることがなかったのは
心の中で
戦時中のつらかった日々と
引き比べていたからだろうか
親の若い日の苦難を
子どもはなんと知らないことだろう
そういえば我が子も
私についてほとんど知らない
戦争ほどのものではなかったが
命に関わる苦しい思惟の日々はあった
父が
最期まで口にしないで秘めていたこと
子どもには聞かせたくなかったこと
それを忌憚なく
すべて聞きとってあげたかったと
8月になると思うのだ
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エアコンの買い替え
十数年使ってきたエアコンの効きが悪くなった
だましだまし使っていたが
部屋の温度が30度より下がらなくなったので
しぶしぶ買い替えを決めた
明日新しいエアコンが届く予定
高齢者は暑さに鈍感になるという
私の知り合いでも
日中クーラーは使わないという人が何人かいる
その境地に至ってしまえば
命の危険はあるが
この猛暑も苦にならなくなるのだろう
しかし私にはまだまだ苦だ
そういうわけで
明日取り付けられるエアコンを
切に待ちわびている
こんなにエアコンが必需品になるとは思わなかった
扇風機など全く役に立たない
9月半ばまで
この暑さが続くという
まだ落ち葉になるはずのない庭木が
ぼろぼろと枯葉を落とし始めている
生き物すべてがこの暑さに戸惑っている
生体を環境に順応させるには
時間が圧倒的に足りない
適応できなくて滅ぶとしても
それはまだまだ先の話
人類がどこまでの暑さに耐えられるかを
神に実験されているとして
ちっぽけなエアコンでしか対抗できないのが悔しい
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エアコン設置
新しいエアコンを設置した
快適である
この涼しさが適正であるなら
今年の夏のエアコン使い始めから
古いエアコンは機能が弱っていたのだろう
エアコンの取り付けに来てくれた業者さんは
身長180センチは超えているような
スラッとした若者だった
黙々と作業をして完了するまで2時間ぐらい
カーテンで仕切って汚部屋を隠していたのだが
物品の移動でカーテンがずれてしまい
汚部屋を見られてしまったのが痛恨の極みだ
他の部屋にまだ3台のエアコンがある
そのうち2台は十数年は使っている
冷蔵庫も30年選手である
このパソコンも10年近く使っている
家電の劣化と買い替えは
この先にも待っている
お金がかかるのは仕方がないが
注文とか設置とか取説の解読とか
ネットを介することも多く
とまどうことしきり
最初から「わかんないから誰かやって」
と言いそうな自分もいて
そんなんじゃだめだろと
家電の買い替えのたびに
心の中に
自分を諫める自分が出現する
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ミステリー小説の翻訳について
古本屋で買ったエラリー・クイーンを読んでいるのだが
なんだか読みにくい
訳がこなれていないというか
だいぶ癖がある
「アランはひとつの美しい肩を見ていた」
「ふたつの、かすかなピンク色の斑点がほほに浮かび出た」
「なにかしら根本的にてこへんなところがある」
(「へんてこ」の間違いかと思いきや
「てこへん」に強調のダッシュがついている)
「半馬鹿の田吾作」
いちいち「むむっ?」と思いながら読んでいるので
なかなか先に進めない
奥付を見ると
1959年初版で
1982年の時点で54版である
訳者の経歴や住所まで載っている
住所まで載せてしまうのは昭和ならでは
54版まで出ていたのだから
結構売れていたのだろうし
推理小説としても一級品であることは間違いない
この訳者の人も
あの時代には一流の訳者だったのだろう
エラリー・クイーンを手がけるくらいだから
若い頃 翻訳家に憧れて
通信教育で課題に当たっていたことがある
なかなか「これだ」」という訳を捻り出せずに
ひどく苦しんだ覚えがある
翻訳用辞典や類語辞典なども買い込んで
ぎりぎりまで食い下がったが
課題の点数はなかなか上がらなかった
翻訳は
母語で小説を書くのとは別の難しさがある
ただ訳せばいいというものではない
訳の正確さに加えて文学性も問われる
受験英語の和訳で点数が取れていたとしても
翻訳としては零点ということもある
だからちょっと首を傾げさせられる訳でも
敬意を表する
訳者の言葉に対する真摯な格闘を
そこに感じるから
早く訳に慣れて内容に没入したいものだ
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完璧を目指す
太極拳の教室で
生徒さんより何十倍も練習しているのに
なおも間違う
馬鹿馬鹿と自分をののしりながらも
次は完璧にやってやる、と気を取り直す
陽名時24式太極拳を教えてくれている先生は
けっこう高齢になっていて
認知症で太極拳ができなくなっていくことだけを恐れている
大病や認知症(それと腰痛や膝痛)は
講師をやっている人皆が恐れることだろう
小冊子の校正に携わっていて
毎年の改訂でぼろぼろと出てくる語句表記の間違い
鬼のように校正する若い仲間がいて
間違いではない違和感をも指摘してくるから
私はあおられて疲れてしばし沈黙してしまう
こうして歳を取って
食らいついていくことを諦めていくのかとも思う
細かい字だってよく見えなくなっているし
しかし気持ちに負けてちゃいけない
完璧へ到達することを諦めてはいけない
ふっと気を抜くと間違う 見逃す
もういいやと思った時点から
退化は始まる
とにかく足元の塵芥を踏みしだいて前へ進む
まだ行ける
そんなことを折に触れて教えてくれる
太極拳そして校正
時に苦しくなるが嫌いではないのだ
心の向きに導かれるようにして
静かに集中し続けることのできるその時間が
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よその家のコキア
通りすがりの民家の庭に
10個ばかり並べられた鉢植えのコキアが
緑色の中にほんのり赤をにじませている
高さ50センチほどもある立派なコキアだ
真夏の頃から鉢は並べられていた
ふわっとした形や
黄緑に近い淡い優しい色合いに
そばを通るたびに目が引き付けられていた
以前 種からコキアを育てようと思って
プランターに種を撒いたことがあった
たくさん撒いたのに
3つぐらいしか芽が出なくて
それも5センチぐらいしょぼく伸びた後に
すぐに枯れていってしまった
それでコキアを諦めた
夏の緑から秋の赤へ
静かに変わりゆくコキア
色も形も柔らかいその姿
木とも草ともいえず
手を差し入れたら暖かそう
よその家のコキアを
この道を通るたびに見て
振り返ってまでも見る
いつも
「良いものを見た」という気分にさせてくれる
良いもの
たとえば
美しい植物や可愛いペットや親しい人
お気に入りの趣味
それらをどれくらい多く身の回りに置けるかで
QOLの値が変わってくる
よその家のコキアのおかげで
今 私のQOLは
結構上がっているのである
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家族の記録
子どもが幼い頃
事あるごとに いや何も事が無くても
ビデオや写真をいつも撮っていた
テープは何十本もたまっているし
写真のアルバムも何十冊もある
あれから30年以上たち
思いついて見返したところ
ビデオテープがかなり劣化していて
この先見れなくなっていきそうだったので
業者に頼んでCDにダビングしてもらうことにした
若い頃の私はいやにやせているし
髪も適当に自分で切っていたので珍妙な具合で
しょぼいよれよれTシャツばかり着ている
夫も短パン姿で肌の露出が多すぎるし
髪の毛が濃くてふさふさしている
それよりも子どもたちが
こんなに可愛らしくて元気に跳ね回っていて
楽しさ全開で生きていたということに
なんとも言えない喜びと感動を感じたのだ
天国みたいな風景だった
幼児のとんでもないテンションは
その後の人生にまで続くはずもなく
外の世界に出て苦悩する部分も増えていき
クールになっていかざるを得なかったのだが
あの頃は子どもとして
一生懸命毎日を楽しく遊んだし
私も夫も未熟な若者だったが
馬鹿みたいに子どもに付き合って
一緒に楽しんだ
結果から見て
誰のせい 誰のおかげ
それがよかった それが悪かった
評価はいつも無責任な外から投げかけられるものだが
切り取られたあの頃の家族の画像は
ただひたすら幸福なもので
光に満ちあふれたものだった
何があろうとこれが私たち家族
あれからずっと共に生きてきた
そのどこにも
後悔は探せない
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秋になって
10月に入って
一度だけツクツクボウシの声を聞いたけれど
急に朝夕が冷えてきて
あれからもうセミは完全にいなくなった
夏の頃40度を見た外の温度計も
今は20度ぐらいだ
活動するには丁度いい
日照時間も明らかに減った
まだ暗いなと思いながら起きて
もう暗いのかと思いながら夕方を迎える
秋になっても
内省的になどなりたくない
日差しが薄くなっていくことにも
気づかないふりをして
暑い暑い暑いと言っていた言葉を
これから何に置き換えようか
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ボン・ジョヴィ
通っているジムでは
ずっと洋楽がかかっている
毎日同じ時間帯に同じ曲が流されているようで
曲目があまり代り映えしないなと思いながら
聞くともなく聞いているのだが
行く時間帯を変えたりすると
違う曲がかかっていたりもする
先日 Bon Jovi(ボン・ジョヴィ)の
「Red,white and Jersey」という曲がかかった
曲がかかったとき
「うわーい、ボン・ジョヴィだ」と思って気分が高揚した
この曲はボン・ジョヴィが割とイケオジになった最近の歌だが
動画で見ても渋くてとてもカッコいい
すがすがしいいい笑顔で気持ちよく歌っている
曲の内容も前向きでとてもよい
若い頃のボン・ジョヴィは
もちろん当たり前だが異常にカッコいい
フワフワのロン毛を風になびかせながら
走るように歌っている
「It‘s my life」
「you give love a bad name」
など
イントロがかかっただけで
「ヒューヒュー」言いたくなる
ボン・ジョヴィも中年頃には
声の不調に悩み
喉の手術もしている
それを乗り越えての「Red,white and Jersey」
ブロンドで薄いブルーの瞳で
細マッチョで
ビジュアルも麗しい
それでいてパワフルな歌声
躍動的なパフォーマンス
しばし私の推し活は
ボン・ジョヴィと相成ることになった
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蔦の形
秋になって
川沿いの森に蔦が覆い被さっていく
その垂れ下がり方
盛り上がり方
遠くから眺めていると
緑のマンモスの群れのようにも見える
昔 小学校の通学路の一画に
やはり森があり
はびこる蔦が
木々の形に沿って
巨大な絵を描いていた
それは私には
ひざまづいて祈る人の姿のように見えた
季節が変わっていくと
蔦の形も崩れていく
祈る人が
だんだんうなだれ沈んでいくのを
朝の通学ごとに見ていた
今日 目の前のマンモスは
まだ威容を保ち
豊かな鼻を揺らしている
季節を過ごし
私はマンモスの
どのような行く末を
見ることになるだろうか
緑のふくらみのその奥に
何を見るだろうか
この森の辺りは
涼爽の気がいつもただよっている
やがて冬 そして巡ってくるあの夏
蔦の形は変化していき
私はまた別の生き物を仰ぎ見るだろう
蔦がトンネルのように垂れかかる道
私は自転車で走っていく
私の呼吸を助けるように
森もまた呼吸している
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マンションの黒猫
向かいのマンションの2階の出窓に
黒猫がいることがある
遠目に真っ黒だから
黒い固まりのようにしか見えず
けれどそのしなやかな身のこなし方から
犬ではない 猫だと確信する
朝 私が駐車場で太極拳のおさらいをしていると
かなりの確率で黒猫は出現する
黒猫に見られていると感じる
たまに黒猫の目線となって
自分を下の方に見下ろす
なんだ・・・? あの変な動きは、と
いぶかりながら
黒猫は私を見ているに違いない
人間のわけのわからない奇行
そう 人間は
楽しみや鍛錬のために
変な動きを編み出してきたのだ
五禽義という
動物の動きを真似た気功法がある
そのうちあの黒猫にも見せてあげよう
おや・・・? その動き、人間なのに人間じゃないと
感じてくれるかどうか
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熊が出る
夫に連れられて山に登っていた時分
「クマ出没注意」という看板を
何度か見たような気がする
熊、出るんだってよ、と
軽く笑いながら通り過ぎて
本気にはしなかった
そしてまた幸運にも
熊に出くわすことはなかった
そのうち私は子どもを生んで
山には行かなくなったが
夫は変わらず
毎週山に行っていたときもあった
深夜に車で家を出て
夜通し藪を掻き分けながら山を登り
山の写真をたくさん撮って帰ってきた
登山は会わなくていい危難に
自分から会いに行く行為でもある
死につながる要因があちこちにある
夫が山に出かけると帰ってくるまで
落ち着かなかった
あの頃 悪い想像として怪我や遭難はあったが
熊、それは考えたこともなかった
『可愛いクマさん』という認識があるから
絵本のキャラクターになったり
Tシャツや靴下の絵柄になったりもする
よく考えると
実際はそんな可愛いものではない
フォルムがイラストにしやすいだけだ
熊には熊の事情があるのだろうが
人間も人間の事情によって動く
痛ましいケガを負った人の話や
食い殺された人の話を聞くと
駆除も致し方ないと思う
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落ち葉集め
自宅の小さな畑に敷き入れるため
夫は毎年12月になると
道路の街路樹や公園の樹木の落ち葉が
大量に吹き溜まっているところを探して
90リットルビニール袋で10袋ぐらい落ち葉を集める
車の行き来の少ない薄暗い早朝などに
素早くかき集めなくてはならないので
私も駆り出されることになる
今日12月5日早朝 夫の車に乗り込み
夫がエンジンをかけると
ナビが起動して
「今日はバミューダトライアングルの日です」
などと言う
「なにそれ なにそれ」と私は大受けである
西に向かう道なので
日の出前の薄暗い西の空に
SFじみた大きさの満月が
まだ明るく残っている
こんなに月が近いなら
万が一宇宙に移住することになったなら
月でいいのではないかといつも思ってしまうが
住環境は人間の住めたものではないのだろう
長い坂道を車で登っていくと
月は素早く家々の屋根の下に沈んでいった
車通りの少ない丘の上の高校沿いの道
欅の落ち葉は道路わきに
わさわさと大量に溜まっていて
ふわふわに乾燥していて軽いので
ほんの十数分で大量に集めることができた
ここを箒で清掃する人がいたとしたら
手間が幾分省けただろう
家に帰って早速したことは
「バミューダトライアングルの日」のパソコン検索である
やはり12月5日に
アメリカの海軍機が5機一斉に
謎の消失を遂げていた
一体何があったのか
「なにそれ なにそれ いまだ謎のままだっけ?」と
またしても心でツッこみを入れる
全く世の不思議 宇宙の不思議は
人知を超えているがゆえに
茫漠と果てしなく興味深い
夫は畑仕事から帰ってきて私に
「手伝ってくれてありがとう」と言い
「一緒に大きい満月を見たね」と言った
その言葉に暖められて
また頼まれれば
早朝の落ち葉集めに付き合うだろう
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元旦の満月
月の満ち欠けカレンダーを
毎年なんとなく買ってしまう
去年は年末にかけて
月は少しずつ欠けていき
元旦はかなりの三日月だった
今年は年末にかけて
月は少しずつ太っていき
次に明けた元旦には
ほとんど満月になる模様である
毎年の元旦が
どのような月だったか
記録してきたわけでもないが
元旦の満月
初日の出のように
ありがたく眺めようと思う
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年末
スーパーがいやに混んでいると思ったら
お正月用品の買い出しが始まっているのだった
立派な正月飾り用花束を抱えている人もいる
今日は12月26日
まだ早いんじゃないか?
うちは姑が今年1月に亡くなったから
来年の1月までは喪中
1周忌が済むまでは喪中
お正月は祝わない
去年の暮れから今年の正月も
実は正月気分にはなれなかった
姑は熱を出した後 食事をほとんど食べられなくなり
酸素の取り込みも悪くなって
ずっと危篤状態が続いていたから
今年は年賀状を書かなくていいから
気が楽だ
おせちも作らないし買わない
スーパーに行ったりしなければ
お正月が来ることにも気付かないところだ
弟夫婦も年賀のご挨拶を控えるだろうし
孫もいないし
騒がしい来客など一人とてなく
全くいつも通り
何を準備するでもない
少しだけ多めに片付けや掃除をした後
実に普通のついたちを迎えるだけである
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赤くてかゆい
ここ1ヶ月 左右のまぶたが赤くなって
少し腫れてかゆい
目の下も赤くなって
少しかゆい
何かのアレルギーなのだろうとは思うが
原因が思い当たらない
痛いよりはましだとは思うが
けっこうかゆさが気になる
赤いのはファンデーションを塗ってしまえば
ほとんど分からなくなるのだが
人からどう見えているのかも
少しは気になる
中学生の頃
下級生の女の子で
顔半面に大きな赤いあざのある子がいた
自転車置き場などで時々出会うと
私は見ちゃ失礼だと思って目をそらした
本人も伏し目がちになって隠そうとしていた
医療用のファンデーションとか
使ってはいけなかったのだろうか
もうそれは化粧ではなく
治療の一環としての処置だろうに
冬場に目の周りが赤くなってかゆくなる症状は
おととしに次いでこれで2度目
加齢のせいかもしれない
ステロイドの塗り薬をほんの少し使い
外に行く時はファンデーションでカバーする
それでしのげるならちょろいもんだ
ただお風呂上りで体が温まると
目の周りが異様に真っ赤になるのには
すこし縮み上がっている
まるでDV夫に両目を殴られたかのよう
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元旦その1 (2026年)
朝6時50分ぐらいに夫と家を出て
歩いて東生田緑地の根岸稲荷神社のあたりまで行き
そこで初日の出を見た
雲が下の方にたなびいていたが
太陽はちゃんとまぶしく顔を出した
きれいに晴れ渡った元旦のはじまりだ
家に戻って少し休憩してから
次は土渕不動尊に夫と娘とでお参りに行った
ここはいつ来ても人気がない
お正月だからといって
お守りも破魔矢も売っていないし
宮司さんが中にいるわけでもなく
完全に寂れている
しかしそれがいい
そのあと不動尊横の200段階段を上って
遠くのスカイツリーなどを望見してから
3人で写真を撮った
夫がかざすスマホにはまり込むために
3人顔を寄せあったが
私の首が夫の肩から生えている様な写真になってしまい
それを見て私は
「戸愚呂兄弟やん」と言って吹き出し
娘もニヤニヤした
夫は「戸愚呂兄弟」にピンときていないようだった
それが私たちの初笑い
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元旦その2
午後は私一人で
中野島神社に行ってみたが
長蛇の列
100人200人単位で並んでいるので
すぐにお参りは諦めた
それで子之神社のほうに行ったら
こちらも遠くから長い長い行列が見える
やはりすぐにお参りは諦めた
空いているときに行けばいい
もう帰ろうと思って
東菅小学校の南側の道を通ってゲオのほうに向かっていたら
泣きながら歩いている若い女性がいる
グスグス泣きながら時折
「まさとー」と呼びかけている
ふと前を見ると
10メートルも先をスタスタと早歩きで歩いている青年がいる
この女性は「まさと」とケンカをしてしまったらしい
「まさと」は振り返りもせずに
ゲオへの道を渡ろうとしていて
そこで距離を詰めた若い女性が
とうとうゲオの駐車場で追いついた
若い女性は
「そういうのやめてよ」とか
「あおらないでよ」とか
泣きながら訴えている
「まさと」は憮然としてふてくされて下を向いている
あらあら正月早々可哀想に
女性はお正月デートをとても楽しみにしていたのだろう
おしゃれをしてきれいにお化粧している
「まさと」よ
ちゃんと話を聞いてやれよと思いながら
そばを通りすぎた
元旦デートで初泣き
駆け引きの連続の恋愛には
正月休みも無い



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