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第47集 やる気のない田んぼ



骨や筋肉

 

 

学生の頃 病気をして

2か月で5~6キロぐらい急に痩せたことがあった

友人に「すごく痩せてうらやましい」とも言われたが

私としては心が生きるか死ぬかの騒ぎだったから

羨ましがられることに複雑な思いだった

厳しい食事制限をしていたから体重が増えていかず

その後もずっと痩せたままだった

以来

わりとずっとスリムな体型を維持してきた

 

しかし年をとっての痩せはリスクでしかない

骨や筋肉の不足を言われるようになり

あわてて筋トレやたんぱく質補給にいそしんで

ここ最近3~4キロぐらい増やした

 

町で細い手足や折れそうなウエストの女性とすれ違ったりすると

それはやせすぎだ筋肉が全然ないではないかと

つい振り返ってしまう

つまり人の体を骨や筋肉の視点で見るようになってしまった

 

テレビの通販番組などで

年を取るとどんどん筋肉が落ちると言っているのを聞いて

なにくそ、落ちるままにしておくものかと思い

サプリを飲めば筋肉が増えてさくさく歩けるようになると言っているのを聞いて

うそこけ、サプリなんぞで筋肉が増えるものかと思う

 

できるだけ元気に

いつまでも歩けるように

筋肉や骨をいつも意識して生きる

何ごとも自分の努力で

 

そんな年寄りじみたことを考える年齢になった

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秋めいて

 

 

暑すぎる夏が過ぎて

けっこう涼しいと思うようになったら

虫たちもそう思ったのか

蚊がいきなりわいてきた

毛虫もあちこち這いずっている

 

もう一度40度超えの気温になったら

またどこかに隠れてしまうのだろうか

それとも死んでしまうのだろうか

 

夏の間

アリもあまり見なかった

行列などしていたら

途中ばたばたと熱中症で死んでしまう

 

セミも少なかった

遠くでビ、ビ、ビ、と

どこか苦し気な鳴き方をしていた

 

すべての生き物を苦しめる異常な暑さ

雀もそのせいで激減して

人間もじわじわと

数を減らしていく

 

氷河が溶けて

スイスとイタリアの自然国境線も

曖昧になりずれていく

暑さは地球の地図すら変えていく

 

とりあえず昨日今日

虫も生き生きとわいてきて

つかのまの繁殖にいそしむだろう

これからしばらく雨も続きそう

さあ久し振りに帽子もかぶらず

雨傘をさして

散歩に出よう


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雨花火

 

 

雨なのに

強行された

遠くの花火の音を

家の中から聞いている

 

二子玉川あたりの

多摩川花火

音だけが

重い太鼓のように響いている

 

花は

開くそばから

雨に消されていくだろう

枯れ尾花みたいにしおたれて

 

家の中で聞く

暗い雨の秋花火

きっと誰もが黙り込んで

音だけを聞いている



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姑の面会(2024年10月)

 

 

姑の面会に行ってきた

もうビニールの垂れ幕越しではない

体に触れ合うこともできる

 

夫とそばに寄って声をかけてみたが

リクライニングに座らされた姑は

首をガクッと垂れ

ずっと眠ったままだった

 

また一層やせていた

来年の誕生日まで頑張ってほしいと思うことすら

もうむごい

 

幼い頃から苦労した人だった

母親が早くに亡くなったため

継母の産んだ何人もの子どもを

ずっと子守させられていたという

 

私が初めて出会った頃の姑は

人と争うことのない

穏やかなやさしい人だった

よく笑う人だった

裁縫が得意で

自宅で仕立ての仕事もしていた

ある意味 実母よりずっと

母親らしい安らぎを感じさせてくれる人だった

 

話しかける言葉を理解してくれているのか

聞こえているのかさえわからない

姑の心をこじあけられなくて

夫も何度か話しかけては黙り込む

 

時間が来て

何の意思疎通もできないうちに

姑は来た時と同じように首を垂れ

深く眠ったまま

元の場所に戻っていった

いつ来ても会話が成り立たないから

今回もこれで仕方がないのだけれど

 

まあ ご飯は食べれているらしいから

大丈夫でしょ

などと気休めを言い合いながらも

少し重くなった心を残して

施設を後にした

 

 

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刻限

 

 

一緒にいられた日が

一日増え

一緒にいられる日が

一日減る

 

だれにも非難させたりはしない

たとえ今日が

意味を持たず

無為に過ぎたとしても

 

光が開く朝

あとどれくらいの目覚め

鼓動を強いるものは何か

いつか来る刻限を

やさしく隠そうとしながら​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​

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英単語を覚える

 

 

何の役に立つとも思われないが

英単語を覚えている

受験の頃

英単語集を完璧に覚えようとして

だいぶ覚え残してしまったから

 

この前 駅で

外国の男の人に

“This train,Ikuta?”(この電車は生田に行きますか?)

と聞かれて

“Yes,yes.”

としか言えず

もう少し何か言えなかったのかと

悔しかったから

 

外国語は

中途半端な英語しか知らない

だからもう少し英語を学び直したくなった

たぶん役に立つ機会など

ほとんど無いのだろうけれど

 

言葉を覚えていく過程は面白い

この世の言葉をすべて覚えたかった

中学生の頃 

国語辞典を「あ」から丹念に読んでいて

「辞書なんか読んでるの?」と友人に呆れられていた

私としては大真面目だったのだけれど

 

「アセスメント」は

“assessment”で

「評価」という意味

 

そうか、と腑に落ちる

ひとつの言葉が頭の中に入りこむ

 

その時 私は感じる

海や空のような果てしない空間を

私はこの身の内に

持っているのだということを

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秋の風景

 

 

10月も半ばを過ぎて

やっとキンモクセイの香りを

出かけた先の路地でかいだ

 

秋になると

見晴らしがよくなって

過去からの多重の映像が

目の前の風景に透けて見えてくる

 

神社のお祭りは

かつてとても賑やかで

沿道一杯に屋台が出ていた

人波にもまれながら

我が子の手を離さないようにして

あちこちの屋台を覗いて回った

 

手には綿あめや

くじで当たったプラスチックのおもちゃ

家でもおまつり気分で

はしゃぎながらしばらく暮らせた

 

今は何故かどこの祭りも

かつての賑わいがなくなってしまった

たこやきもお好み焼きも

値段が異様に高い

お気に入りだったガラス細工の屋台も

もうどこにも見かけられない

​​

​閑散とした神社への沿道を

ひとりそぞろ歩いていると

妙に心が冷めてくる

きっとそれは 

お祭りが廃れたことのほかに

そばを歩いてくれる小さな子どもが

いないせい?

いい時代に子育てを終えられた

今思えばそうなのだろう

楽しむすべはすべて

子どもに注いできた

やり残したことなど何もない

秋にはそんな風にも思えてくるのだ



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クモの行方

 

 

娘がトイレを流しながら

「あっ」と言っているのが聞こえた

トイレから出てきて

「クモ、流しちゃった

    助けられないタイミングでした」

と言って笑った

 

「それはしょうがないね」と

私も笑う

 

こんな他愛のないこと

でも私は

こうして書き留めようと思ったのだ

 

言葉にするならそれは

おぼれゆくクモに対しての

一瞬の惻隠の情

 

仏とか神のような光が

そこにきらめいたような気がして

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絵手紙教室

 

 

自宅で姑の介護を始めた頃

逃げ出したくてしかたなかった

介護自体から 

そして

毎日のように来る介護や看護のスタッフから

彼女たちが来てくれると楽になるかというと

その訪問があるから

私はかえって自由になれないのだった

 

早朝散歩の途中

絵手紙教室の張り紙を町内会の掲示板に見た

「月曜日の午後1時半から3時まで明王神社の集会所にて。茶話会もあります」

その道を通る度その掲示物を見た

 

1時間でもいいから

家ではない別の場所で

誰かと介護と関係ない活動をして

家で寝たきりの姑を忘れたい

その頃の私はそんな考えで頭がいっぱいだった

 

「月曜日の午後1時半から3時まで明王神社の集会所にて。茶話会もあります」

けれど月曜日の2時には訪問看護師が来てしまうので

参加するのは無理なのだった

 

その頃から 

介護が終わったらどうしたいかを考え始めた

やりたいこと

行きたいところ

参加したい教室などを

リストアップしはじめた

 

あれから8年がたった

最近 同じ掲示板に

絵手紙教室の発表会についてのちらしが張り出された

コロナの時期を経て

会員募集の掲示物も一度も張り出されなくなっていたから

もう絵手紙教室はなくなってしまったのだろうとずっと思っていた

 

介護は2年前にひとまず終わった

それから焦ったようにあれこれやりたいことを実行しはじめ

介護に忙殺されていた間に失っていたものを

いろいろと取り返した

 

でも絵手紙教室はいつのまにか

私には必要なくなっていたのだ

あそこに行けば

きっと介護のことを忘れられる

気持ちが楽になるかもしれないと思っていた一種の避難所

その存在は ひとつの呼吸の通り道だった

小さなお守りのようなものだったと思う

それがもう

逃れ場としてすがりつかなくてもよくなっていた

 

人は

希望を感じさせてくれるものや場所を

できるだけ多く心に持っていた方がいい

実際に行動にうつさなくても

必要になるならないは関係なしに

 

今日 8年ぶりに絵手紙教室の張り紙を見て

追い詰められていた日々のことや

そこから解放されていった日々のことを

ゆっくりと思い出した

家で一人で描いてみた絵手紙が

全然うまくいかなくてお粗末すぎたことなど

 

たとえ参加することがなくても

その教室が今もずっと続いていることは

いまだ私の希望である

私を受け入れてくれるにちがいないもう一つの居場所が

「在る」ということ

「在る」ことを知っているということ

それだけで心はやすらぐのだ

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ハナミズキの生態

 

 

ハナミズキの葉っぱが散り始める季節になった

うちの庭には白い花を咲かせる2本のハナミズキの大木がある

剪定に失敗してほったらかしにしたため

2階の屋根を超えて窓の近くを枝や葉が塞いでいる

 

ハナミズキも私が思うに庭に植えてはいけない木だ

上に伸びすぎるという点もそうだが

いつも何かを散らせている点において

花びらをはじめとして

花粉の粉、めしべ、おしべ、葉っぱ、赤い小さな実など

 

ハナミズキは

派手に脱ぎ散らかして

まわりを掻き乱して知らん顔の

わがままな美女のようだ

花の見た目は清楚なのに

行動はひどく世話がやけて面倒だ

 

今 残念ながら2本のハナミズキの所有者であるので

これからしばらくは

落ち葉掃きの仕事が生じる

地面を汚すその様も

ハナミズキの生態の一部なのだから仕方ない

所有者はひとまず下僕となろう

 

天然無垢の美女は

知らん顔でつんとして

来年もまた華やかに

花を咲かせることだけに注力していればいい

その花を見るために

下僕は1年を下回りの掃除に費やす

 

四季の庭仕事が出来ているうちが花

咲かせるものがあるうちもまた花

四季の酔狂にややうんざりしつつも

気持ちのよい秋の巡りに

ひとりうなづきながら

庭を眺め渡している私である

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感謝

 

 

私のことを

たわむれにでも

美しいと言ってくれるのは

もはや

酔っ払っていて

眼鏡をかけていない時の

夫だけなのだが

そんなことを言ってくれる人が

この地球上に

たとえひとりでもいたという

その奇跡を思うにつけ

せめて

今日を明日につなげ

明日をその先につなげ

出来る限り長く

元気な姿を

夫に見せ続けることが

私からの

精一杯の

感謝の表明である

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砦のように

 

 

小学6年生の時に

詩をひとつ書いてきなさいという宿題が出た

私は皆をうならせるような詩を書こうと思い

表現にあれこれ工夫をこらし

擬人法までも使い

「秋 あなたは両手に寂しさをかかえてやってくる」

などと書いたような気がする

(あくまでも小6の詩なので決して出来はよくない)

 

皆の前でそれを読み上げた先生は

鼻で笑うようにして首をかしげ

クラスの皆はシーンとして

少し顔を見合わせてにやにやしていた

 

その教室の中に

詩が好きな者など

一人もいなかった

むしろ馬鹿にしていた

そういうことなのだろう

 

私がなぜ詩を書き続けているのか

実はよくは分らない

高村光太郎とか

谷川俊太郎とか

萩原朔太郎とか

理由もなく好きだった

誰かの詩を読んでいると

心に泉が湧いてくるような気がした

自分で書くようになると

心に湖が広がっていくような気がした

 

とうとう職業詩人にはなれなかったが

「自称詩人」ぐらいは名乗っていいのか

いいのか、ではなく、いいのだ

詩人で無かった日など

一日も無かったのだから

だから

大いなる自負によって

私は自分が詩人であることを

胸を張って公言し続けていく

 

私が生み出してきた言葉は

ただ私だけが書き得たもの

私の心の核を成すもの

書きためた原稿の束は

鋼鉄の砦のように

これからも私を守り続けていくだろう


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にぎやかな場所

 

 

駅から区役所へ続く大通りで

秋のお祭りイベントが開かれていた

自分の用事を済ませたあとちょっと見てみようと

混雑した中に自転車を押して歩き入っていった

道の両側に商店会の屋台が並び

呼び込みのお兄さんが

フランクフルトを差し出してくる

​広場ではカラオケ大会のようなものも開かれている

ハロウィンも近いので

小さな女の子などはお姫様の仮装もしている

へたな神社のお祭りよりも大盛況だ

 

しかし歩き始めてすぐに

すぐにこれは駄目だ、と思った

 

人が多すぎる 

ぶつかりそうになるほどだ

大声を出している人や

咳き込んでいる人から遠ざかりたい

私の中ではまだ

感染症に対する恐れが

色濃く残っているのだ

 

一日だって体調を崩したくない

喉が痛くなったらひどく困る

熱など出して寝込んだら

大切な人生の時間が無駄になってしまう

心の中にはいつもそんな思いがある

 

脇道に逃れて

誰もいないところで大きく息をついた

寂しい道だけれど身も心も安全だ

 

喧騒を背後に聞きながら

もうにぎやかなお祭りは

素直に楽しめなくなったのだと思った

今は身の安全が第一だ

おそらくは 

人生が少しつまらなくなった

これもコロナ後遺症の一種なのだろう

​(2024年10月30日)

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親の責任

 

 

40代の男が殺人を犯したのを

マスコミが80代の母親に突撃取材して

母親が他人事のように受け答えした

という記事がネットに上がり

娘がそれを読んで

「親のしつけがどうのとか言われてるけれど

そんなおっさんにまで親のしつけ言うのもねえ 親が気の毒だねえ」

と言う

 

子どもの不始末に対して

親はいつまでも責任を問われるのだろうか

一生しつけがなっていなかったと言われ続けるのだろうか

 

娘は幸いやさしい

私の子育ての不手際を

表だって非難したりはしない

けれど「親ガチャ」とか考えたことはなかっただろうか

 

私はどこか冷たいところがあるから

心の中でいつも自分の親を非難したり

疎んじたり避けたりしてきた

親のしつけが私にどう作用したかなど

私にすらよくわからない

 

育て方の何かが間違っていたとしても

親はただ謝ることしかできないのだ

親はもう子どもを

手のひらの上に乗せておくことなど

できないのだから

 

だから娘が基本やさしいことは救いである

親のしつけとは関係なしに

子どもは大人になったら

自分の責任で生きていくものだ

親のせい、などと思わずに生きていってほしい

 

私も今の人生を

良くも悪くも親のせいとか思わないし

親のおかげとかも思っていない

それくらい薄情な方が

自分の人生を

自分の責任で生きていけるのではないだろうか


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むかごご飯

 

 

庭木にからみついていた山芋のつるに

「むかご」がたくさんついていた

夫がそれを見て

「むかごご飯にしよう」と言う

むかごなど

食べるものではないとずっと思っていた

子どものおままごとの材料、ぐらいにしか

 

夫が食べられるのだと言い張るので

お米に混ぜて炊いてみた

お赤飯のようにほんのり赤いご飯

ほくほくした小さなお芋のようなむかご

青臭いような気もしたが

これが結構おいしい

 

1~2か月前

お米がスーパーに全然出回らなくて

買い置きのお米も乏しくなっていた

新米が出たら出たで

値段がいやに高い

家でのお米の消費が少なくなるよう

何か算段しなくてはならないと思っていた

 

むかごご飯は

かさ増しができていいかもしれない

同じような考え方で

サツマイモご飯もありだ

豆などもいいだろう

「だいこんめし」という有名なワードも頭に浮かんだが

これはなんとなく即却下である

 

野にあるもの

そこら辺の草や実を見分け

食べることができたなら

食費もいくらか浮くのだろう

人はもっと野生になっていいのだ

原始人が

拾ったもの

採ったもの

狩ったもので

食を満たしていたように

 

昔 体に良いものを野に探そうと思い

「薬草辞典」という分厚い本を買った

ヨモギ オオバコ ドクダミ

桑の実 木苺

探せば身近に食べられるものはあちこちにあることを知った

 

大災害が来た時など

そんな知識があると助かるだろう

とりあえず「むかご」は

うちの食材リストに堂々と加わった

 

そこら辺にみつかる野生のものは

お金がかからないから助かる

季節ごとにきっと

何か食べられるものが自生している

ケチで下衆な根性が

こういう時は役に立つ

 

間違えて毒草や毒きのこを食べて悶絶しても

それは自己責任ということで

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やる気のない田んぼ

 

 

近所にやる気のない田んぼがある

春過ぎていつ水が入るのか

そもそも今年も田んぼをやるつもりがあるのか

いつもあやふやで

危ういところで

やっと田んぼを全うしているような

 

今年も春の終わりぎりぎりで

なんとか水が入って

苗も植えられたが

なぜかすぐに水の補給が止まってしまい

しばらく田んぼがからからに乾いていた

これでは苗が枯れてしまうと

そばを通りながら心配する

 

日差しも強くなり

苗がだんだん元気がなくなり

もうこの田んぼは駄目かもしれない

と思うきわどい線で

やっと水が入り持ち直す

夜になると

カエルの声が聞こえてくるようになる

やっと田んぼらしくなった

 

これでなんとか秋まで頑張れと

遠くから眺めるも

やはりほったらかしの様子で

そのうち稲に混じって

丈高い雑草があちこちに立ち上がってくる

本当に米を作る気があるのか

雑草がそんなに交じって大丈夫なのかと

なおも心配は続き

秋 ふと気づくと

ちゃんと稲が刈られている

藁がきちんと筋交いに立て掛けられている

なんだ やればできるじゃないか

 

きっと田んぼの持ち主は

高齢になってしまってちゃんと動けないか

土地対策で嫌々ながら田んぼをやっているかなのだろう

 

今日 しばらくぶりにそばを歩いてみたら

近くの樹木から一斉に雀が田んぼに降り立った

落ち穂をついばむ数百羽の雀

それに混じって十羽ほどの鳩

そうこれこそが豊潤な秋の風景

たどり着いた実りの最後の風景

よかったよかったと思いながら

立ち止まって長い間眺めていた

 

やる気のない田んぼでも

ちゃんとお米が取れて

何百羽の雀のお腹をたらふく満たした

よかったよかった 

今年もなんとか田んぼを全うすることができた

 

これから乾いた切り株の姿で

しばらくまたやる気のない冬を越していく

それでいいからまた来年も

ふらふらと田んぼになっていってくださいよ


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ミステリアスな航空券

 

 

古本屋で買った文庫本を読んでいたら

中に航空券のようなものがはさまっていた

 

持ち主の姓らしいローマ字と

記号のようないろいろな英数字

DATEが「08SEP」となっているので9月8日ということだろう

16:40発の飛行機だったらしい

FROM  HEL

TO  NRT

とはどういう意味なのか

HELは「ヘルシンキ」? 

NRTは「成田」?

 

ミステリー小説にはさまれた

ミステリアスな航空券

この人は海外から日本に帰国したか入国したかで

9月の始めのまだ明るい夕方に

飛行機に乗りこんだ

名前のそばにMとあったからMALEで男性

座席クラスがMとなっていて

調べたらエコノミークラスだったから

大金持ちでもない普通の人

そして飛行機の中で

「スタイルズ荘の怪事件」を読んでいた

ということは

日本人で海外から帰国したのだろう

その文庫本は1997年27刷のもの

本も搭乗券も古びて黄ばんでいたから

フライトは10年~20年前ぐらいだったかもしれない

 

私が想像し得たのはそこまでで

飛行機に乗っているおぼろげな男性像しか浮かばない

もちろん私は探偵脳ではないのだから

1枚の航空券から分かることはこんなもの

それでもこの男性が飛行機を降りたその後で

暖かな家族の元に

ほっとしながら帰っていったか

一人暮らしの寂しい部屋に

少し疲れた気分で帰っていったか

出迎えてくれた恋人に

やっと会えて微笑んでいたか

少しは推理してみたくなるのである










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