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第42集 在と不在の比重(2)



3回目の緊急事態宣言

桜の頃に解除された2回目の緊急事態宣言だったが

5月の連休前に地域限定で3回目が再発出され

もうしばらく続く予想

神奈川県は今のところ「まん延防止措置」だが

緊急事態と意味はたいして変わらないだろう

去年の緊急事態にはざわざわとした感覚があったが

今はもう何とも感じない


ここ1か月 姑の病気と入退院や転院で

コロナどころではなかった

正直コロナを意識するのは

病院におむつや飲み物を持ち込むときの

検温や問診票書きのときだけだった

むしろ家に姑が不在になったことで

紐づいていた十数人の介護スタッフとも会わなくなったので

私の中ではコロナへの警戒は減った

もうコロナになっても高齢者への波及がないから大丈夫

ぐらいな気持ちになった

確かカミユの「ペスト」では

完全に町がペストを克服して

ロックダウンが解除となるまさしくその日に

主要人物の一人が最後のペスト患者になって

死んでいくのではなかったか

​まだまだ緊張を持続しなくてはならない

油断しているといきなり死ぬことになるぞと

時々おざなりになりそうな手洗いをしながら

自分を戒めたりする


(2021年5月20日)



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リハビリ病院の医師の説明



リハビリ病院の医師の説明を聞いて来た

姑はもはやベッド上に座ることもできず

数人がかりで車椅子に移動させても

5分と姿勢がもたずくずれていってしまうそうだ

何より本人にリハビリを頑張ろうという意欲がない

何の力も出そうとしてくれない

これ以上良くなることは見込めないということだった


それに加えて夜になると声を出して騒ぎ

ナースコールを押しまくったり

おむつをいじってパジャマや布団を汚してしまう問題行動も出てきたそうで

医師からは暗に老人ホームを早めに選定して

決まり次第移って欲しいようなことを言われた

決まるまでは追い出されることもないのだが

1か月以内には次の行き先を決めた方がよさそうだ


医師は

「今までも大変だったでしょうが

もう自宅で面倒を見ることは無理でしょう」と言った

医師にそう言ってもらえて

やっと私はすっきり許されたような気がした

今後しばらくは全てをリハビリ病院に任せて

入院中においおい施設を探していくことになる


家に帰り

もう姑が使うことは無いかもしれないベッドを見て

寂しいながらも

もうこれで自由だと思った

まわりの同世代の人たちが

旅行に外食にと自由に出歩けていた時間を

私は姑のベッド周りで過ごしたのだ

つい失ったものをあれこれ数え上げてしまう


介護は果たして貴い仕事と言えるのだろうか

私の心の中は醜かった

夫とも気持ちがすれ違っているような気がしていた

必要に迫られて引き受けたことだったが

すぐにへこたれて

自分の健康さえ危うくなって苦しんだ時期もあった


回避できるものなら回避し

専門の介護業者にお任せした方がいいに決まっている

しかしそこは金である

施設に入るとなると大変なお金がかかるのだ

だから身内が介護を負担しなくてはならなくなる

だから介護殺人などというものが起きるのだ

 


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施設を検討している



有料老人ホームの見学にいくつか行きはじめた

料金の安いところはやはりなにか胡散臭い

介護保険の枠内でと言っておきながら

あれもこれも実はオプション料金で

追加でどんどん徴収されそうだ


こちらの金銭的な思惑はまあいい

少しぐらい高くても

姑が快適に過ごせる施設を選ぶことになるだろう

では逆に施設側の受け入れ態勢はどうなのか

姑は寝たきり全介助

片マヒがあり寝返りもできない

意思疎通もできない


大概の人は麻痺があっても車椅子に座っていられるのに

姑は体に力が全然入らなくて

すぐに体が横に崩れていってしまう

車椅子に座って食堂で食事ができない

そこが大きな問題となっている


入院ごとにガクッと力をなくし

できることが大幅に減っていく

4年前の大腸の手術後も

もとの生活に戻ろうという気は一切なくて

ほぼ寝たきりでトイレにも行けず

一言もしゃべらない人になった

今回更に片マヒを得て

ますますただベッドに横になっているしかない人になった


姑は自宅に帰りたいのかもしれないが

今病院でしてもらっている24時間の介護や看護

難度を増したおむつ替えや食事や認知症の対応など

私にはもう絶対できそうにないのだ

姑のせいで私がまた心や体をおかしくするのは

真っ平ごめんなのだ

姑には申し訳ないが


だからせめて姑が心穏やかに過ごせる良い施設を

捜してあげなくてはと思う


(2021年 6月3日)



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終末期に入ったと言われる



医師の話によると姑は

食事が全然はいらなくなったという

高栄養ゼリーも1口2口でやめてしまい

後は全然食べない

手づかみでつかめるものはつかんで

後ろにポイッと投げてしまうそうだ


姑がうなぎが食べたいと何回か言ったので

うなぎゼリーというのまで作ってくれたそうだが

それも2、3口しか食べなかったという

今は点滴での輸液で命をつないでいるが

もう血管も弱くなってしまっていて

点滴もあと少ししたらできなくなる

そうなったら本当の終末期だと医師は言う


うまくものを飲みこめないことに苛立っているのか

今の状況に適応できず食欲が全然ないのか

もう生きることをやめたいと思っているのか

なにもしゃべらないので

気持ちがわからない

面会にも行けないので

気持ちに寄り添えない


夫と少しショックを受けながら

医師の話を聞いていた

医師がもう匙を投げている感じが

どこか許せなかった

うなぎゼリーまでわざわざ作ったのに

全然食べてくれなかったと不満げに言うのも

おかしいと思った

作ったものを全然食べてくれないなんて

私にとってはいつものことだったから

行き詰ったら

そこから次から次へと新たな手を繰り出すのが

看護と介護じゃないか


はやばやと諦めるなと

医師に言いたかった



(2021年6月25日)



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自宅に戻ることの難しさ



自宅にいたときは

53~54キロあった体重も

今は50キロは切っていると看護師さんは言っていた

これからどんどん痩せて枯れていくのだろう


姑を受け入れてくれる施設がもしみつからなくて

仮に自宅に戻るようなことがあったら‥‥

そんなことを時々考えてしまう


何も食べてくれないからすぐに脱水し

急激に死に向かう姿を見守らなくてはいけない

寝返りを2時間ごとにさせなくてはいけないので

少し間があいてしまっただけで

褥瘡ができてしまうかもしれない

おむつかえにしても

体を自分で動かすことが全然できないので

どうやっておむつをお尻の下に敷き込めるのか

わからな過ぎて途方に暮れてしまう

起き上がれないから着替えをさせることも難しい


考えるのも怖い

今更もう自宅に受け入れるのは無理だ

あり得ない


なまじ完全な自由を得てしまったばかりに

もう介護などまっぴらだと私は思ってしまっているのだ



(2021年6月25日)



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姑の転院

リハビリ病院で

終末期について示唆され

「看取りはどこでなさいますか」と医師や看護師に訊かれた

「最期は自宅に戻ったほうがいいのでは」などと言われて

私はきっぱりと「看取りは病院でお願いします」と答えた

すぐに死んでしまうわけでもない今の状態で

介護の他に医療の面の注意が必要なんて

私一人にできるわけがない

「こちらのリハビリ病院での看取りをお願いします」と

夫と共に強く求めた

医師や看護師は気が重そうにそれを受け入れた


病院側はよほど看取りが嫌だったのだろう

たぶん病院のソーシャルワーカーが緊急に動いたらしく

7月に入ったらすぐに

特別養護老人施設と介護老人保健施設から

たて続けに連絡がきた

15人待機していると聞いていて

諦めていたところが待機者何人もをすっとばして

姑を指名してきたのだ


連絡を受けて1週間で

病院から介護老人保健施設に姑を移動することになった

「1週間遅れても体調に変化があったら転院できなくなりますから」との

ソーシャルワーカーのアドバイスに従って

急かされるように

早めの期日を示してくれた施設に転院したのだ

幸い自宅から割と近い施設だった


リハビリ医師は姑を病室の入り口で見送ってくれたが

運び出されていく姑に

とってつけたように

「おとなしくていいおばあちゃん」などと声をかけてきた

私は神妙にお辞儀をしながらも

「なんだよ あんなにディスったくせに」と心で毒づいていた


リハビリ病院でのオンライン面会も

ちょうど眠ってしまっていたりしてうまく話もできず

転院の日までちゃんと姑の顔もみることができなかったのだが

移動の車のなかでやっと姑と間近に向き合うことができた


問いかけたことに案外しっかりと反応してくれて

少しは声を出して話もできて

そんなにひどくやせてもおらず

思ったより終末という感じはしなかった

これはリハビリ医師が大げさに言っていたのではないか

と私は思ってしまった


5月半ばにこの病院に転院してきて

1か月たったかたたないかで終末期に入ったと言われ

7月か8月には看取りになる見込みなんて

なにしろ展開が早すぎる

リハビリ病院を介せずに自宅に戻っていたとしても

私はこんなに早く姑を死に至らせはしない


そして新たな老人保健施設に入って10日ほど経った今現在

少しは食事も口からとれているという

水分もコップで自分で飲めている

点滴だけで命を繋いでいるというわけではないらしく

施設の職員もリハビリ病院から聞いていた話と違うと驚いていた

まだまだ終末という感じではないと言われた


オンライン面会を先にしてくれた義弟からも

割としっかりしていて話も少しはできるというような様子を聞き

なんだ大丈夫そうじゃないか

全くなんだったのあのリハビリ病院は と

ほっとしつつも少し憤激しているところである

(2021年7月17日)



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姑の5月から7月までの経緯



5月中旬

姑がリハビリするどころではない重度の麻痺をもって

全く無力な身体でリハビリ病院に入院した時

リハビリ医師は

ベッドに座ることもできないで

何のリハビリができるのかと

はっきりと夫と私に言い

あからさまなとまどいの表情を見せた


2週間も経った頃には

うちではなんともしようがないから

これは早いうちに別の施設を捜し始めたほうがいいと

夫と私に言った


姑が夜になるとしきりに「ママ、ママ」と声を出しうるさいとか

おむつの中に手を入れて便に触れてしまい始末が大変だとか

看護師が食事を口に運んでも

てのひらに吐き出して投げ捨ててしまうのだとか

姑のかけた面倒をあげつらい

看護師が気の毒でたまらないとか

看護師は随分つらい目にあいました

などと夫と私に言う

そうですか 申し訳ありませんでした と

私は姑に代わり謝っておいたが

なぜこの医師は患者家族を謝らせるようなことを言う


姑は食事を一割程度しか食べないのだという

胃瘻も中心静脈栄養の措置もしないなら

水分の点滴だけでは衰弱が急激にくる

看取りを視野にと言おうとしたのであろう面談の日

CTを撮ったら胆のうが腫大している

血液検査の数値も胆のうの酵素が多いから

胆嚢炎を起こしているらしいと言い出した


「隣の総合病院に転院してすぐにでも手術

今晩にも激痛がおきるかもしれない

カテーテルを入れてドレナージをして

内視鏡手術になるので数週間の入院治療が必要」

と言われた


それで翌日隣の総合病院に入院して

各種検査をしたところ

外科の担当医師は半笑いで

「胆のうの大きさには個人差があって

大きい人もいてこれは腫大しているとは言えない

白血球の数値も全く正常なので

胆嚢炎ということはない

しかしせっかく入院したのだから胃カメラでカテーテルを入れて

胆のうに溜まっている泥状のものを掻きだして

様子を見ましょう」という

「それでお願いします」と夫と私は言うしかなかった

やらなくてもいい処置で

姑を苦しめてしまったことは否めない


全くどういうことだ

胆嚢炎の疑いが出た時

この数値はどうなのだとか

この画像はどうなのだと専門医に相談しなかったのか


結果的に胆嚢炎ではなかったので

しなくてもいいカテーテル処置のあと

1週間後にはリハビリ病院に戻ることになった

気まずくもまたあらためてリハビリ医師と面談をすることになり

今度こそ看取りは近いという話になり

そしてなんとなく急転直下で

7月上旬 今の老人保健施設に転院となったのだった


この保健施設では7月末日において看取りという話はまだない

衰弱が進んでいるとかの話も全くなく

姑はまだまだ元気だ


(2021年7月30日)



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8月ももう終わる



姑がリハビリ病院を退院して施設に移るとき

病院のソーシャルワーカーは

「もし何ごともなく安定した状態が続き

半年1年過ぎてしまい

これ以上は老健にいられないと言われたら

もう一度特養をあたってみてください」

とこっそり私にささやいた

「まあそんなことはないでしょうけれど」

という言葉をそえて


あの時点では

皆 姑は7月中に衰弱して死に向かう

と思っていた

おりしもコロナが隆盛を極め

世界的にコロナワクチンを打ち始めていたころ

私は7月29日にワクチン1回目を控えていて

姑はその頃まだ生きているのか 危ない状況なのか

お葬式の日にワクチンが当たらなければいいが

とあれこれ思いを巡らせていた


転院から1か月半過ぎた7月半ばの時点で

姑は特に問題なく施設で過ごせていて

私のワクチン2回目の8月19日も

姑に大きな変化はなく

私は何の心配もなくワクチンに向かうことができた


リハビリ病院の医師の見立ては

完全に間違っていた

何が看取りだ

しかし看取りという言葉を使ったから

今の施設がみつかったのだともいえる

もうすぐ9月にはいる

夏の喪服の出番はたぶん来ない


(2021年8月28日)



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9月に入った



9月初旬のオンライン面会では

姑は爆睡していて

スタッフさんが盛んに肩をたたいて

起こそうとしてくれたが

全然起きなかった

夜の不眠は続いているのだろう


寝顔を見た感じでは

痩せてもおらず

やつれてもいない

死にゆく人のようには全く見えず

まだまだ大丈夫そうだと思った


この施設に移って正解だったと思う

姑は穏やかに過ごせているようだ

もしリハビリ病院にいたままだったなら

本当に7月8月には亡くなっていたかもしれない

医師は看取りの方向しか考えていなかったし

そんな雰囲気のまま

姑は死に支度をさせられて

本当に死に向かっていってしまっただろう


お世話をする人がどんな気持ちでケアするか

それもあるいはお年寄りの寿命に影響するのかもしれない

私は姑の4年間を担った

今の施設はあとどれくらい

姑を支えてくれるだろうか


(2021年9月3日)



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エンディングノート



7~8年前に書いたと思われる

姑のエンディングノートに

「痛い痛いと騒いでも

話半分に聞いてください」

などと書いてある

なんとなんと

昼間の病院が閉まったころにしばしば始まる

あの腰の激痛騒ぎ

あれは半分嘘だったのか


「明日一番に整形外科に行きましょう」と言っても

「朝までとても我慢できない」と言って

夕方から夜遅くまで何度も私を呼び

鎮痛剤も座薬も全然効かないとしきりに訴える

そんなに痛いならばと夜9時過ぎに

タクシーを呼んで夜間救急病院へ向かう


タクシーに乗ってからもずっと

うーうー大袈裟に呻き続け

隣の席の私は「大丈夫ですか」と何度も声をかけ続ける

これは救急車案件ではないかと

タクシーの運転手は思っていたであろう


強烈な麻薬のような鎮痛剤

認知症や譫妄の危険があるから

極力使いたくないのに

それを使わないと我慢できない

救急病院の医師からは

この検査結果からして

こんなに騒ぐのは認知症かもしれませんねと

言われてしまった

1度や2度ならまだしも

年に4~5回となるともうこれはお芝居入ってる?

それに町の整形外科でも痛みを訴え続け

神経ブロック注射を

毎週毎週何回も受け続けてもいたのだ


今更ながら思う

姑は毎日が不安で

少しでも誰かに気にかけて欲しかったのかもしれない


あの激痛騒ぎの時も

私はずっと本当に痛かったんだろうなと

思ってあげようとしていた

近所の医者は「もうこれはメンタルから来ているのかもしれない」といって

大病院の精神科の紹介状まで書いてくれたのだが


もしあの痛みが「話半分」だったのなら

どうしようもない激痛ではなかったということで

それはそれでよかったのだろうし

私も信じているふりをちゃんとしてあげられて

それもまあよかった

10のうち7か8の痛み

姑は看護師にそう言っていたけれど

真相はどうだったのか

4か5ぐらい?



(2021年9月18日)

















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