top of page

第38詩集 救うための日々と時間


雨が続く7月


記録的な大雨だそうで

九州の方は土砂崩れなどで今年も大変らしい

私の家は崖が近くにあるわけでもないが

多摩川が近いと言えば近いので

決壊したら水が押し寄せてくることもあるかもしれない

避難しろと言われたら

まず困るのはほとんど寝たきりの姑の処遇

車や車いすで体を移動させることはできるが

避難した先にベッドは無いだろう

そして1日に10枚近く使う紙おむつをどうするか

何パックも大きな包みを持っていかないと間に合わない

その他に使い捨てのお尻拭きとビニール手袋

汚れものを入れるビニール袋

着替えのパジャマ 大量の薬

食事も普通のパンやおにぎりは食べられないので

ろくに食べ物も手に入らずたちまちやせ衰えること必至

家を離れるのはムリだろ これ と思ってしまう

では姑を避難させることはできないとして

差し迫った危難から元気な者たちだけで逃げることができるのか

姑を一人置き去りにして…!?

これは相当ゲス野郎にならないと私や夫は生き延びられない

おうよ いざとなったらとんでもないゲス野郎になってやろうぞ と

思ってみたりもするが

実際にはどうだろう

それに私が年をとって寝たきりになって

置き去りにされる側になったら

元気な者たちに心置きなく置き去りにしてもらえるかどうか


究極の生の選択

まずは自分、と思うべきだが

そう簡単にはいかない

やっかいな善なる心の作用

正解を選べないまま

身動きも出来ず

ぐずぐず算段を巡らしているうちに

あっけなく押し流されてしまうような気もしている


まずは冷酷を身につける

自分に対しても 他者に対しても

それができないうちは

大地震 大火災 大洪水 大噴火などが

身近に起こらないことを

本気で祈るしかない

-------------------------------------

目を合わせる

訪問リハビリ士が作成したリハビリ計画書に

「筋力増強」と書いてあるけれど

増強などできるわけがない

1日24時間中23時間はベッドに横になっているのだから

姑は普通の生活に戻れる可能性のある時に

いくら声をかけても起き上がらなかった

私の悔いと怒りは今でもその1点に集約する

寝たきりになった姑とは

早いうちから目を合わせられなくなった

食事やお下のお世話するたびに

不甲斐ない姿を目にしなくてはいけないことが

本当に嫌で嫌で

姑の部屋に入ることさえも嫌になった

しかし日々のお世話は私がしなければ

姑は生きてはいられない

施設などに入れたら

食べ物の好き嫌いの多い姑は

まず何の食事もとらなくなって

どんどんやせて命を縮めるだけだろう

目は合わせられないけれど

「パッド替えますね」とか

「ご飯にしましょうね」とか

明るく大きな声で声をかけるようにはしてきた

姑は私の言っていることはちゃんと理解している

だだ反応がほとんどないので

他人が見たら何も分からなくなっているように感じるだろう

甲斐なく報いもなく

もはや単調なルーティンと化した介護だが

夜 お下の洗浄も済んで「さあ寝ましょう」という時には

私は精一杯微笑んで

しっかり目を見て「おやすみなさい」と言うようにしている

姑は最初の頃は目を合わせてうなづいてくれたが

今はそっけなくすぐに枕元の牛乳に手をのばす

私には読みかけのシャーロック・ホームズや

学び途中の気功法やたまった録画の映画があるから

介護で途切れた気持ちは

すぐに自分の楽しみに移っていくけれど

姑は昼に続く長い夜を寝たままで

楽しくもなく延々と過ごすのだろう

------------------------------------------

​シャンプーのコント

シャンプーを洗い流す人の後ろから

シャンプーをかけつづけて

いつまでも泡が消えないで困る人のコントがあるが

今日おむつに便が出ていた姑のおしりを

ティッシュで拭いていたら

拭いても拭いても便がついてくるので

おやっと思って手を止めたら

リアルタイムで便が出続けていた

出てる最中ならそう言ってよ

シャンプーのコントを思い出し

笑いたいような

怒りたいような

姑はしばらく食欲不振が続いていて

お通じも滞り気味になっていたから

たくさん出るのはとてもいいこと

人生の終わりごろになると

食べることと出すこと

息をしてちゃんと生きていること

それだけがとても大事

それだけできていればまあいいでしょうの境地

​そうは思ってはいても

目の前で便が出てくるのを

見守っているのはかなり衝撃的な光景

見ちゃいけないものを

見させられている気分


目の前で赤ちゃんが出てくるのを

見守っている助産師さんも

ある意味こんな気分?



---------------------------------------------------

7月12日

7月12日は父の命日であるが

鏑木家の菩提寺のお施餓鬼の日でもある

平日に当たることがほとんどなので

毎年いつも私がひとりでお参りに行く

午後2時過ぎに家を出て

小田急線に乗って9個目の駅

少し歩いて3時前にはお寺に着き

お墓を掃除してお花を活けお線香をあげ

受付に卒塔婆代と年間維持費を支払い

4時過ぎに卒塔婆が配られるまで待つ

今年は持っていったチャッカマンの火力が弱く

お線香に火をつけるのに手間取った

見かねて近くにいたご年配の男の人が

「つきませんか」と声をかけてくれて

火力の強いチャッカマンでつけてくれた

「ああ 強い ありがとうございます」と私は言い

本当にその方の気持ちがありがたいと思った

お墓の前だと有難みも倍増する

死者を感じていると

生きている人との触れ合いが

かけがえのないものに思えてくる

お施餓鬼の日は父の命日

父の命日はお施餓鬼の日

出会う人すべてに慈しみを感じる日

新しい卒塔婆を立てて古い卒塔婆を片付けて

ではまた次に来られる日までさようなら

帰りは駅近のBook Offに立ち寄って

しばらく本をながめていく

姑のオムツ替えの時間のしばりを

いつも感じているが

時には我慢してもらおう

それによほど困れば私を待たずとも

姑ひとりでオムツ替えできることも

私は知っているのだから

​ ------------------------------------------


お節介

着物を着た若い女性が

町なかでいきなり

世話好きな中年女性に

着付けをお直しされてしまい

それがとても嫌だったと投書した記事が

ずっと以前新聞に載っていた

上手に着れていなかったことを

指摘されたからというより

ちょっとでも着物に触られると

その部分に手垢や油がついて

長年のうちには染みになってしまうからと

人と関りを持つ、ということは

そういうこと

何気ない言葉、動作

心底親切な行為であっても

ちょっとした受け取り方の違いで

人の心に染みをつける

私の心にも​

誰かからつけられたそんな染みが

いくつもあり

誰かの心にも

私がつけてしまった染みがきっとある

避けがたく

それは仕方がないこと

長年を経て

着物がもし染みをうかべてしまったなら

ほら やっぱりと思うとともに

その時その中年女性が

優しい気遣いで触れてくれていたことにも

大人になった彼女は

少しは思い至れるようになっているかもしれない

そしてその時はきっと

着物の染みなんかよりも

顔に浮かびはじめたシミや皺の方が

最大の関心事になっていたりもするのだ

----------------------------------------

心は孤独な狩人

「心は孤独な狩人」というアメリカ小説を

高校時代に読んだのだが

今でも時折本の内容を

ぼんやりと思い出すことがある

人当たりのいい微笑みを

いつも浮かべている聾唖の男性のもとには

近所の少女をはじめ

いろいろな人が深刻な相談をしにやってくる

聞こえていないことはわかっているが

聞こえているかのようにうなずいてくれるので

唇の動きを読んで話を理解してくれているのだと

皆思っている

男は終始うなずいてすべての話を

「聞いて」いる

人々はきちん「聞いて」もらえたことで

それだけで満足して帰っていく

しかし最後に明かされる

この男は何一つ人々の言葉を「聞いて」などいなかったのだ

男は同じ聾唖の友人に手紙を書く

「なぜか分からないが

何人も人がやってきて

口をずっとパクパクさせて居座り

それが終わったら

満足したように帰っていく

彼らは一体何をしにきたのか

私には全く退屈な時間だった」と

言葉で通じ合った気でいても

何も通じていないこともある

恋人同士でもあるなら

言葉以外に分かり合う術もあるのだろうが

それでさえ世の中の不和のなんと多い事か

結局人は

自分の聞きたいことにしか耳を傾けない


「心は孤独な狩人」

高校生としての経験値しかなかった頃ではなく

十分歳をとった今 あらためて読み返したいのだが

再版される可能性もなく

どこの古本屋にも見つからず

こうして漠然と思い返すしかないのである

---------------------------------------------------

登戸の事件




​カリタス小学校の生徒が朝のバス停で刺殺された

こんな時だから

詩を書いて元気にならなければいけません

以前そう手紙に書いてくれた詩の先生のために

私はパソコンのワードを開いている

私の脳に

少し新しい言葉を入れてみる

流れるものはあるだろうか

消していけるものはあるだろうか

カリタス学園のイチョウ並木は

毎年すばらしく美しく黄葉し

その次に降り積もる夥しいギンナンは

毎年猛烈なにおいをたてて

下をよく見てよけないと踏んでしまう

下校時には警備員さんが何人かいて

車が危なくないように誘導してくれる

秋には必ず何度か見に行くきれいな並木道

登戸の事件があってから

まだこの道を通れていない

ファッションセンターしまむらと

登戸のいなげやに行く近道

上品そうな女の子たちが

グレーのセーラー服姿で通う通学路

三角公園だってよく知っている

すぐ近くに姑のかかりつけの多摩病院

コンビニの筋向いには

ずっと昔小さな二宮金次郎の銅像があった

被害者の方の近所に住んでいたという人の話も

太極拳教室のみんなの話から出たりして

​犯人の人の家も日本女子大の近くだなと見当がついて

テレビで映し出されるのは

よく見知った場所ばかり

あの日はずっと取材ヘリがうるさかったな

三週間たった今でも

あの道を通ったら

山のような花束を

見てしまうことになるのだろうか

こんな近所で

こんなにも知っている場所で

いつになったら

またあの道を

自転車で走ることができるだろうか

テレビをつければ

事故やら殺人やら詐欺やらばかり

絶望した人の憔悴した表情ばかり

幸福になろうとして生まれてきたのに

何かがずれてこんなことになる

テレビや新聞やネットの報道が

この世のすべてでもないのだろうが

すべてであるかのように何度も言われると

毎日​ひどいことしか起こっていないかのように思えてくる

だから私は時々外界の情報をすべてシャットアウトして

庭の草むしりをする

1時間太極拳をする

たまった録画の映画を見る

音楽ゲームをする

その合間に介護をして

私だけでも平和であろうとする

私だけが

​この世のすべてであるかのように

--------------------------------------------

拾い物の幸福

親友の犯罪に加担して

やむにやまれず人を殺してしまう夢を見た

現場からやみくもに走って逃げるが

逃げ切れるはずもなく

行く手をすべて閉ざしていく社会的な死

何が原因だったのか

なぜ関わってしまったのか

何も分からないまま

親友はいつのまにか姿をくらまし

私の罪だけが深刻に残る

そんな夢を見て

そんな状況とは無縁な今の状況を思い

限りなく安堵した朝

いつもと変わりない朝が

いつもより幸福なものとなった

-----------------------------------------

哀しいことだが

​実母と姑とでは

私の気持ちに差が出るのは

当然のこと

実母の手術の時には

私は数日ろくに食べられなかったが

姑の時には

病院の食堂で

ランチ定食をおいしく食べていた

あまつさえ

長時間の待ち時間に

おやつまで食べていて

夫に「よく食べれるな」と

なじられもした

だって実母じゃないもん

夫も

私の両親の大変な時に

自身の食欲に変調をきたしている様子はなかった

そんなものなのである

いくら長く一緒に生活していても

「実」と「義理」とでは

何かが決定的に違う

育ててもらったかそうでないか

思いの嵩はそこで決まる

哀しくも

そういうものなのである

それでも

介護サービスの人に

娘さんですかと

ときどき聞かれる

「嫁」と「娘」

姑の中では

私はどちら寄りだろうか

​-------------------------------------------

脱出

その名前を聞き

ひらがなでは

思い浮かばなかった顔が

四つの漢字の並びで

急に記憶から掘り起こされる

駅の雑踏の中で

迷子になりやすい自分がいる

色分けされた記号のかたちを

読み解きながら

脱出の方向を探っていく

--------------------------------------

自分本位

月に延べ20人もの

介護サービス者の来訪がある

待ち受け準備する者からすれば

全く面倒な時間

出掛けることもできないし

来訪中はなんとなく気にしていなくてはならない

(入浴や健康チェックなど

重要な部分を担ってくれているのだから

文句を言うなんて全くおこがましいとは分かっているが)

しかし私は

隙間時間を利用して

わが人生史上最高に

実に常になく自分本位に生きている

太極拳の練習もどんどんはかどっているし

自彊術も筋トレもこまめに取り組んでいる

姑の人生を横取りしているかのように

私はますます力をたくわえる

これみよがしに強くなる

それは子育ての時と似ている

自由に出かけられなかったあの時

絵本作りや布のカバンづくりや

フェルトのマスコットづくりで

隙間時間を十分楽しく過ごしていた

この先も強くいられるかどうかは分からないが

どんなときでも

楽しみはきっと見つけられる

介護でイラつく暇があったら

スクワットを50回しようと思う

-------------------------------------------

動かせない心

​普通に立って歩いて

話せていた人が

検査入院1日目から

ほとんど何もしゃべらず

トイレにも行こうともせず

すべて人まかせの

ベッドにはりついた人になってしまったのだ

痛みがあったり

身体や脳の機能が

大きく損なわれてしまったというのなら

まだ仕方ないと思えるのだが

手術が済んで傷が治ったあとは

物理的には健康に問題はない状態

ただ心の力がゼロになってしまい

付随して体力筋力がなくなっていった

そういうことなのだろう

話しかけても

何も返ってこないし

笑いも泣きもしない

ケアマネも介護サービスの人達も

私たち家族も原因がわからず

スルーしてしまっているその部分

「こころ」

少なくとも私の心は

あなたがもう立ち直れないということを

自分に認めさせることができるまでの間

かなり痛み壊れていた

5年生存率60%から70%

そのうちの2年が過ぎようとしている今

反転した30%から40%が

じわじわとクローズアップされてくる

大切な最後の時間を

ベッドの上なんかで

ぼんやりと費やしてほしくはなかった

どこかの時点で奮い立てば

ちゃんと立って歩いて話せていた現在も

確実にあったにちがいない

あなたの心は

身体より前に

動かなくなってしまった

そして

黙り込んだ同じような日々に

私はこれからも

甲斐なく語りかけていくのだろう

-------------------------------------------

隠された言葉

おむつを開いて

こりゃ 半端ねえな!と

叫びたくなるときもある

半端ねえ! 半端ねえ!と

心で叫びながら

処理をする

心の声が外にもれなくて

よかった

姑は

あ~ う~ とか

ポっ パっ プっ とか

わけのわからない言葉をつぶやき続け

もしかしたら

すまないねえと

心の中では言っているのかもしれないが

それも全然聞こえてこないので

心が見えないのは

​お互い様

見えている作業だけが

そこにある

---------------------------------------


命を支えるということ

姑の介護で

なけなしのやさしさを

使い果たしてしまうので

夫には

少し冷たくなる

許してほしい

たぶん

私がいなければ

姑は

こんなには生きていられなかった

とは言うものの

私の人生いろいろ間違いだらけなので

​信用はならない

まあ諸々

許してほしい



--------------------------------------

介護の心

聖母のような心で

介護をしているとは

思わないでほしい

おむつを替えて3分後に

うんちをされた日には

微笑みながら

手早くパッドを替えつつも

何やってるんだよ と

心の中で悪態をついている

介護とは

この心の乱れとの

戦いなのだ

2年前の手術以来

何もしゃべらなくなった姑

ありがとうも

ごめんねも

すみませんねも

おはようも

おやすみなさいも

いただきますも

ごちそうさまも

何も言わず

一日中ベッドに横たわり

イヤホンの中の

ラジオの声だけで生きている

ときどき目が合うと

少しだけうなずいてくれる

そのコンタクトだけを頼りに

かぼそい命を支えている

聖母にもなれなければ

鬼にもなれない

中途半端なバランスで

幾分機械的に作業をこなす

こんな介護でいいですか?

よくない いやだ とかも

何も言ってくれないし

---------------------------------------


見えるということ

眼科の健診に行くと

いつも仔細に目の中を覗き込まれて

右目の眼球に大きな傷があると言われる

「事故にでも遭いましたか?」

「目の怪我で入院しましたか?」

直近ではそのような記憶は無いが

それは多分 幼児の頃に負った怪我の痕

おもちゃにしていたハサミで

誤って自分の目を突いてしまったのだった

あの夜のことは

あまり覚えていない

ひどく視界がぼやけて

奥深い痛みもあって

泣きながら眠ったような

「非常にラッキーでしたね」

「失明していたかもしれなかったですよ」

矯正視力は出ないものの

なんとかメガネ無しでも見えている

パラレルワールドにいる失明した私

こちら側にいる失明を免れた私

当たり前のようでいて

決して当たり前ではなかったこの世界

いくつもの幸運が今の私を形作っている

明日も全天の光を

明るく見ることができる

そのことを忘れそうになったら

右の目を

そっと手で塞いでみよう

---------------------------------------

手とこころ

うとうとしながら

日記を書いていて

「一日中寒かった」と

書いたつもりで

あとで読み返したら

「一日中寂しかった」と

書いてしまっていた

こころとからだの齟齬

書き文字を

寂しがらせた思いは

こころにあったのか

からだにあったのか

その日 その時

そこに

確かにあったかもしれない思い

うとうとしていても

「一日中楽しかった」と

いつかしっかりと書けるように

日々に携わる手とこころを

うかつに濁らせはすまい

------------------------------------------

三日月

とがった三日月の皿に

あたたかなミルクを満たして

言葉のかけらを浮かべている

夕暮れ

カマキリの瞳の色はひっそりと暗くなる

コオロギは衣擦れをさせながら首をかしげる

窓ガラスは冷えて昨日より硬くなる

小さな心のあなたは

言葉を閉じ込めておけなくて

言ってしまってから

いつも無駄に疲れている

心の形さえ無い私は

頭の中で

くだらない言葉遊びばかりしているので

なんでもくすくす笑いにしてしまう

父から手紙が届いた

「これで終わりかと思ったことでも

月日がたてば

なんとかなりつつ

すすんでいくのです」

そうですね

きっとそうです

ミルクはゆっくりと円い渦を描き

私の心はまたやわらかくなって

またくすくす笑いがこぼれてしまう

------------------------------------------

父の手紙

昔の手紙

今の手紙

父の字の弱り方

「とても元気です」から

「まあまあなんとか」に

行間の

更に外にある思い

どうか

悲しみが少なく

安らぎが多くありますように

離れていても

すぐに会えなくても

私も何度も

手紙を書くから

-----------------------------------------

夜を歩く

月が

暗闇に白く

鎌の刃の形で

刻まれている

冬の日の朝夕

世界の広がりが

やさしい球体であることを

見失う日

明日の月に

細い絵筆で

一刷毛一刷毛

加わっていくのは

黒なのか

白なのか

歩き続ける

この夜が

やわらかくなっていくまで

-----------------------------------------

思い出す

菜っ葉を切っていたら

思い出した

花びらのスープに

ヘビイチゴ

ヘクソカズラさえ

おいしい具材

仲良しの男の子と

手をつないで走った

みかん色の午後

ズック靴に刺さるくすぐったい砂利

かたつむりいっぱいの垣根道

きっとまたすぐに

忘れてしまう

記憶の中の奥の奥

今度思い出せるのはいつ?

一人台所の片隅

菜っ葉の緑は

思い出のキーワード

ちぎったり

なすったり

ばらまいたり

たたいたり

ひとしきり

ままごとの幼い手つき

あの時の男の子は

いまどこに?

あの時の私は

いまどこに?

思い出せるのは

今度は いつ?

-----------------------------------------

花のように

人は

花のように平穏でいたい

花は

人のように鼓動を打ちたい

風が吹き 風がやみ

揺れては 静まり返り

ひととき

人は花

花は人

言葉をまるく包み込み

時の螺旋に身をゆだねる

bottom of page