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第36詩集 クロコダイルの夜(2)


父はどこに

人は亡くなるとどこへ行くのか

位牌の中とも言うけれど

位牌の中に魂が入っているとは

正直思えない

戒名に住職の念が入っているかどうかも

あやしいものだ

しかし信じているふりをするのが

大人の礼儀だ

墓参りはするが

墓の中にいるとも思わない

骨壺周辺を魂が漂っているとは思えない

風の中にいるとも思えない

あまりに散漫すぎて

焦点も合わせられない

生まれ変わって

蝶や虫になってやってくる

そんなこともありえない

第一父はそんなものに

生まれ変わるはずがない

ではどこにいるのか

父の手紙 父の字 父の文章

父がいつも座っていた場所

父の歩き方 話し方 笑い方

父との思い出しうる限りの記憶

私が書く文章の中の父

その中にいる

としか今の私には言えない

あの世はあるのかもしれないが

今まで通り

会わないでもそれぞれががんばっている

その状態に変わりはない

どんなに祈ってもかなわないし

花もお香も

遠く離れてしまったなら

その香りが届かないのが

現実の世界

先祖をちゃんとご供養しなければ

たたりがある

そんな考えも信じない

私が先祖の立場になったなら

花や線香をあげてくれないからといって

子孫を呪ったり祟ったりはしない

一生懸命生きている子孫を呪うだなんて

お化けとしても終わってる

プライドは無いのか


見える形はなくなってしまったが

つながりを探したい

私は記憶の中を探り続ける

時折こみあげてくる涙

父はまだ確かにそこにいる

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わすれられないおくりもの

「わすれられないおくりもの」

という絵本が家にはある

子どものために買ったものではあるが

折りに触れ手に取るのは私だった

読むたびに涙が出てしまう そんな絵本

絵本のなかで

年老いた優しいアナグマが

ひっそりと死を迎える

仲間たちの心をいやすのは

アナグマが残してくれた豊かな思い出や

生きるための知恵や工夫だった


父が私に遺してくれたものは

子どもの頃の

森の中の散歩の記憶

自転車の乗り方を教えてくれたこと

受験の時の経済的・精神的な支え

そして私がひとり暮らしになった時に

頻繁に送ってくれたたくさんの手紙

私自身がこれから遺せるものは

とりあえずは詩の言葉と

少しばかり教えていた太極拳の技術

私がいて助かったと言ってもらえた

いくつかの場面

それは

誰かを救うものというより

私を救う記憶


父も私を助けることで

自分も救われていると

思うことがあっただろうか

得ることより

失うことの方が多いと感じる日々

それでも

自分よりは

誰かを救うすべを学ばなければいけない

私が真っ先に微笑んで

次にあなたが微笑むことができるように

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くしゃくしゃ

二年前

父はもちを喉に詰まらせ

一度死にかかった

夜を越せないかもしれないと連絡を受けて

朝まだ真っ暗な中を

実家まで飛んで帰ったが

父は奇跡的に回復し

半身をベッドに起こし

元気そうに何かをしゃべり続けていた

全然死にそうではなかった

しかしその時が一番涙が出た

ほっとして嬉しかったのだけれど

父の顔を見て涙が止まらなかった

その時を含めて5回

旅行バッグに喪服を押し込んで

覚悟しながら帰省したが

その都度喪服の出番はなく

よかったよかったと戻ってきたが

6回目に本当に喪服を着ることになった

喪服は

どんなにくしゃくしゃに

鞄に丸め押し込んでも

しわにならなかった

緊急時は

香典のお札もくしゃくしゃでいいらしい

そうならば

喪服のくしゃくしゃも

許されないことはないのだろう

けれど喪服はしゃんとしていた

何度つめこまれても

ハンガーにかけて

ご苦労さんとつぶやく

もうしばらくは誰のためにも着たくない

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父の手紙Ⅰ

父の手紙を読んでいて思った

父の人生は

私が思う何倍も大きく

娘の私が関わった時間なんて

ほんの一部に過ぎなかったのだ

父は仲のよい六人兄姉の末っ子で

野生児だった子ども時代があり

戦争もくぐり抜けてきたし

国鉄の仕事 通訳の仕事 銀行の仕事

行政書士の仕事 英語塾の仕事

他にアパート経営もしていたし

家庭菜園もやっていた

八十八歳まで車を運転し

あちこち出歩き 旅行もたくさんしてきた

私の悲しみの付け入る隙もなく

人生を楽しんできたのだ

私はもう何も悔いに思うまい

父は今頃自分の両親兄姉に迎え入れられ

また気楽な末っ子になって

なごやかな家族を始めている

きっと釣り三昧の日々 誰にも叱られず

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父の手紙Ⅱ

何か形見となるものはないかと

父の部屋の棚や引き出しをのぞいてみたら

大量の未使用の茶封筒が出て来た

そのうちの数枚には

私の名前と住所が書いてある

何か手紙を出してくれようとしていた父の

その時の筆跡

亡くなる数年前に

手紙も年賀状も終わりにするとの連絡がきた

きっとポストがあるところや郵便局に

行けなくなったからだと私は思っていた

それならば家族に投函を頼めばいいのにとも思っていた

しかし実際は

文字を書く能力に変調をきたしていたのかもしれない

「川崎市」の漢字を

ひょろひょろ震える字で練習した跡のある封書もあった

電話のかけ方や

一十百千万の順番について

しきりに訊いていたそうだ

入院前は雀やカエルや虫などがいないのに見えるようになって

不安で怖かった時期もあったにちがいない

それでもそんな感情を少しも漏らさず

葬式の連絡、準備、寺や墓のことも

ちゃんと用意して

残されたものが戸惑わないように

できる限りことをしていた

立派だったと思う

ただただ立派だった

それ以外の言葉がみつからない

私宛の出されなかった茶封筒は

どうしても捨てられない

きっと私を思い浮かべて

書いてくれたに違いないその宛名

最後に何を書いてくれようとしていたのだろう

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弱肉強食

森の際の道で

長さ1メートルぐらいのアオダイショウが

とぐろを巻いて

何かを締め上げていた

モグラだった

モグラも必死でもがいていた

少し離れたところから見ていて

どうしたらいいのか

石でも投げてみようかと思ったが

結局何も手を出さず

その場を離れた

よくあるアナコンダ映画だと

捕食を邪魔したやつは

次のターゲットとなって

しつこく襲われて食われるのだ

アオダイショウに襲われるイメージがわいたので

私はそそくさと逃げた

よくある弱肉強食も

目の当たりにするとかなり衝撃的だ

今まで私は常に

弱きものの立場でものを考えてきたが

ここにきて

アオダイショウの気持ちにもなってみる

腹が減っていたのなら

まあ仕方がないか

とにかく

腹が減って

モグラをつかまえてしまったのだから

食べるしかない

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一か月

父が亡くなって一か月がたった

ここ三十年 父と離れて暮らしていたので

生活圏に父の気配を感じることは少なく

父との思い出の場所といえるところも

身の回りにはなく

それゆえに速やかに

普段の生活に戻りつつある

思い出は断片的によみがえり

そのどれもが

穏やかで静かだ

森の中や川のほとりにいるような

だから痛みも無く

うっかり忘れていられるようになった

それでも時々

もうどこにも父はいないのだという考えに行き着くと

やはりぞっとしてしまうのだ

会えない 話せない

姿かたちが無い

思うたびぞっとして息が詰まる

当分はその気持ちを抱き続けるだろう

むしろいつまでもそうであれと思う

かけがえのない人を失うとは

そういうことだ

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好きなもの

斎場の人に

故人様の好きだった食べ物は

好きだった花は

好きだった曲はなどと

しつこく訊かれ

兄とふと顔を見合わせた

母ならすぐに答えられるのだろうが

あいにく同席していない

兄が 考え考え

百合の花 ナッツ類 美空ひばり

と答えた

式当日 祭壇とは別のところにしつらえた

遺影の前の小さなテーブルに

百合の花が生けられ

ピーナッツ類が供えられ

ピアノの生演奏で

美空ひばりメドレー

そして岸壁の母などの曲が流されていた

百合の花はまあいい

小さなお皿に

ピーナッツがひとにぎり乗っているのには

ちょっと苦笑した

もっと豪勢なものをあれこれ

盛りつけてあげたかったと思った

生演奏でピアノを弾いている人は若い女性で

品よく美空ひばりを演奏してくれていたが

父が昔 木琴やハーモニカでよく弾いていたバーブ佐竹が

私には父の好きな曲として印象深く

しかしバーブ佐竹を弾いてと言われたら

誰それ? どんな曲? と

この女性はすこぶる困惑したであろう

(付け加えるなら

好きな花 鷺草 と言ってみたなら

斎場は鷺草を用意できたのか?)

父の好きだったものに

思いを馳せられてよかった

人は亡くなる前に

好きな花や食べ物や曲を

リストアップしておいたほうがいいと思った

希望がかなう葬式かどうかなんて

もう本人はわからなくなっているのだろうが

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手をつなぐ

駅までの数百メートルの裏道を

早朝 自転車で通ると

なぜか

仲良く手をつないで

駅へ歩いていく何組かのカップルに出会う

若い人はともかく

白髪交じりの夫婦らしい人たちも

ほほう と

つい振り返ってしまう

手をつなぐということは

相手の歩調に合わせるということ

私と夫は

マイペースで歩きたい方だから

まずだめだ

私がいつも後れをとって

待て! 待てい! と

叫んでいるようだから

手をつなぐなんて考えられない

無理してつないでも

互いに大いにストレスになるだけだろう

子どもの頃から

手をつなぐのは

むずむずしてだめだった

本当に必要な時以外は

差し出された手を

取ったりはしなかった

最近病床の父の手を

何度も握った

父はもう何も言えなくなっていたが

私が触るたびに

なんかむずむずする とか

思ってはいなかっただろうか

元気だったころは

触ったりできなかった

命の残りわずかになってから

やっと手を握れた

私は その時ばかりは

むずむずしたりはしなかった

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文字の練習

法事のお寺の場所を探すのに

父の部屋の地図帳をめくっていたら

父が文字を練習した紙が

何枚か出てきた

兄の名前と私の名前が

大きい字でいくつも

兄の名前の方がたくさん書いてあったのは

それだけ兄を頼みとしていた証拠だろう

好夫の文字を

女 子 夫

と分解して練習してある

やはり文字の認識で

密かに苦しんでいたに違いない

最後まで私たちの名前を憶えていてくれたのか

そんなことはもうどうでもいいことだ

名前も顔も忘れてしまっても

思いはきっとそこにちゃんとあった

帰省するたびに

涙の種をみつけてしまう

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ダミさんのケガ

ダミさんが

いつものトラさんとケンカをして

目の上にひどい裂傷を負ってしまった

これは手持ちの抗生物質だけでは

治りそうもないと思ったので

急いで病院に連れていった

傷口を洗浄消毒し一針縫って

あとは膿が出切るまで

薬と消毒で様子をみることに

治療の最中

「強い猫さんですね」

と獣医さんが言った

てっきり押さえつけるのが大変で

力が強い猫だと言っているのだと思い

「ええ デブで大きいので・・・」

と答えたら

「ちっとも痛がらない強い猫さんです」

と獣医さんは言い直した

ああ そうか

傷をこじあけられても

じっとして悲鳴もあげなかったからね

ダミさん ほめられたよ

ここにもひとつ 勇敢な魂があった

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生きるための素質

姑の体調を

心配してくれた方々が

姑より先に倒れていく

自分の方が元気だし若いし

と思っていただろうに

細く弱くやわらかく

日々を穏やかに

生きるための素質

姑は今日も

歩けるだけの距離を

ゆっくりゆっくりと

歩いていく

細く弱くやわらかく  

誰よりもゆっくりと

抜いていった人たちを

いつの間にか

そうっと抜いていきながら

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神話

待合室で若い母親が

パンドラやプロメテウスや

シジュフォスの神話を

小さな子どもに話している

世界に飛び出した夥しい災厄の話や

夜毎はらわたを食いちぎられる話

無益な永劫の労働の話など

母親の笑い顔で聞かされたら

それはそれで

愉快な童話にもなるだろう

子どもは興味ありげに

災厄って何?

と聞き返す

神話はいつか将来 脳の中で

むごく生き返るかもしれない

どこか見知らぬ世界の話ではなく

自らの身に

生々しく起こりうることとして

今は

母親のそばで

聞き流していればいい

ロマンと夢にあふれた神話の世界

隠された裏側は

いつか先々に大人の心で

知ることになるのだから

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探し物


父の形見として

実家からもらってきた木刀が

一本なくなった

(二本もらってきた)

いつも入れている傘たてや

庭のあちこち

近所の駐車場など

何度も探してみたが

ない

時折

棒術と称して

庭で振り回していたから

うっかりどこかに置き忘れて

通りすがりの人が

持っていってしまったのかもしれない

いやもしかして

家族が持ち出したのか

探し足りないのかとも思い

また同じところをガサガサし

ごみ捨て場まで見に行ったが

やっぱりない

すっかりあきらめて

日記にも

父の形見の木刀をなくして がっかりした

と書き

残ったもう一本は大事にしようと

思ったところに

姑の食事の準備に

階下の台所に行ったら

壁にたてかけてあった

やはり

自分の置き忘れだった

ほっとして急にうれしくなった

なくしたのではなくて

よかったよかった 本当によかった

木刀を握る

父のてのひらを

確かにそこに感じる

今となってはせめて木刀だけでも

ずっと大切にしなくては

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